課題不提出

「こんばんはー。五年い組の久々知です。包帯換えて下さーい」
 医務室の入り口から呼びかければ、奥からはーいと声がして、表れたのは伊作先輩。
「はいお待たせ。じゃあこっちに座って……ってあれ、鉢屋も?」
「こんばんは、伊作先輩」
 今度は雷蔵の声で言う。最初に掛けた声が僕のものと気付いているのか、伊作先輩はかすかに顔を歪めた。
「すみません、医務室に行くって言ったら、ついてきちゃいまして……」
 指示された円座に座り、上着を脱ぎながら申し訳なさそうに久々知が言う。
「怪我人の付き添いは、保健委員の仕事だよ。鉢屋も来年は保健委員になる?」
「それで僕にも不運になれと?」
 そう言うと、久々知と伊作先輩は目を見合わせた。
「鉢屋が不運って……似合わないねー」
「本当に」
 伊作先輩が苦笑いすると、久々知も傍らで頷く。
「不運な鉢屋なんて想像も出来ないよ。……あ、これが傷口だね」
 上半身が露になった久々知の、肩に巻かれた包帯を取って行く。すると右の肩、背中側には、矢に射された傷が残っていた。
 普通の矢傷ならもうとっくに治っている頃なのだが、ここに刺さった矢だけは毒が塗られていたようだ。傷口は膿んで変色し、なかなか気味の悪いことになっている。
「うわー、かなりえげつないな、この傷口」
「え、本当に?」
 久々知が身をよじって、どうにか傷を見ようとする。が、位置的に見れるはずも無く。
「まだ治りかけだから仕方ないよ。それに、これは名誉の負傷なんだからいいじゃない。ちゃんと課題を果たした、っていう」
 外した包帯を籠にまとめながら、不運委員長は宥めるように続けた。
「五年生にして、六年の課題をこなすなんて、凄いよ。僕なんか四年生の課題もできなかったっていうのに」
 笑いながらこんなことを言われたものだから、生真面目な久々知はどう返していいか分からず口ごもった。
 確かに、事実その通りなのだ。伊作先輩に割りあてられた夏休みの課題は四年生向きのもので、それなのに先輩はそれを果たすことが出来なかった。それは噂になって駆け回り、いまや全校の生徒が知っていることだ。
 でも今の伊作先輩の物言いには、ちょっと引っかかりを覚えた。普通なら、気付いても会話の流れとして放っておけばいいそれを、僕はどうしてもつついてみたくなった。
「じゃあ、もし先輩に、久々知の課題が当たってたら、どうなったでしょうね?」
 先輩は包帯を籠に納めると、顔を上げてこちらを見た。
「久々知の課題というと……ナルト城の軒丸瓦を取って来い、って奴?」
「ええ。六年生相応の課題ですからね。順当に行けば、先輩に当たってた可能性もあった訳で」
 どうです?と重ねて問えば、先輩は顎に指を当てて、少し考え込んだ。
「不可能じゃないとは思うけど、難しいよね。準備もいろいろ必要そうだし」
 それを聞いて、一瞬久々知の喉の奥で、う、とかいう音が詰まった。
 こいつは多分、自分に当たった課題を見た時『絶対無理だ』と思ったクチだろうな。久々知の課題を聞いた時は、僕だって無理だと思った。
 もちろん、その『絶対無理』を何とかやってのけたところが久々知の凄いところだ。しかし、自分が『絶対無理』だと思ったものを、さらりと『不可能じゃないと思う』と言われると、やはりちょっと感じるものがあるのだろう。
 でも仕方ない。それが五年と六年の差だ。
「……じゃあ本当に、先輩は不運だったんですね」
 息を吐きながら、しみじみと久々知が呟く。
「六年生なのに四年生の課題を引き当てたら、それって幸運なように思えますけど。先輩の場合、先輩が最も引いてはいけない課題を引き当ててしまったんですね」
「そういうこと、なのかな」
「そうですよ。他の課題なら、例え六年生向けでも楽にこなしてらしたんじゃないですか?それなのに、よりにもよって、合戦場で布だなんて……怪我人が多く居て、包帯はいくらあっても足りないでしょうに」
 しかし、この生真面目男がこう言うと、伊作先輩は、わが意を得たりと嬉しそうに語りだした。
「そうなんだよ!僕は自分の手拭も風呂敷も使い果たしちゃってね。本当に、布地はいくらあっても足りなかったよ。何か包帯になるもの、と探してる時に手元に布があったら、そりゃ使っちゃうよねー」
 そうして先輩は、課題のタソガレドキ軍の旗を手当てに使い、提出できなかった訳だ。
 このことが全校に知れ渡った時、みんながこぞってこう思ったものだ。『善法寺伊作先輩は、忍者に向いてないんじゃないか?』と。それが決して軽蔑を含んだものではなく、多分に心配を含んでいたのが、この忍術学園の品行方正さによるものか、伊作先輩の人徳なのか。
 ともあれ、課題より人命救助を優先した先輩に、みんなはこぞってこう考えた訳だ。
『伊作先輩は、忍者には向いてないんじゃないか?』
『伊作先輩は、忍者より医者になった方がいいんじゃないか?』
 ……と。
 まあ確かに、この学園で六年も保健委員を務め、薬の知識や手当ての技術において、その辺の医者に勝るとも劣らない伊作先輩は、医者に向いてると思う。
 しかし。
 しかし、だ。あえて言わせてもらえば。
 課題の旗を取って来れなかっただけで、忍者に向いてないと判断するのは、早計ではないか?
 何故なら、忍者とは任務を何よりも優先するものだからだ。時には友を見捨ててまでも、任務に忠実でなければならない、とされている。
 ならば、少し見方を変えてみればいい。そうすれば、伊作先輩ほど任務に忠実な忍たまはいないことがよく分かる。
 見方を変える。……そう、例えば。

『保健委員であること』、それが伊作先輩の任務だったら?

 もしそうだったら。課題の旗を手当てに使った今回の件は、夏休みの宿題を投げうってでも、『保健委員であること』という本来の任務を果たしたのだと言えるだろう。学校の宿題という普通の忍たまが最優先するべきことを放り出してまで、任務に忠実だった言えなくもない。
 そう、伊作先輩は普段から任務に熱心だ。朝に夕に怪我をした生徒の面倒を見て、薬を管理し、落とし紙の補充に走り回り、新野先生を補佐している。当番でなくても医務室に入り浸り、自室に火鉢を持ち込んでまで薬の調合に明け暮れ、身を粉にして働いている。
 そして今回、伊作先輩は選んだ。夏休みの宿題をしに来た合戦場においても、『保健委員であること』の任務を何よりも優先させた。その結果の、夏休みの課題不提出ではないか。
 そう考えれば、伊作先輩は誰よりも任務に忠実な忍たまであると言える。
 こんなに任務に忠実な者を、忍者に向いてないなどと誰が言えよう?
 ……なぁんてね。
 買い被りすぎ、だろうか。
「いやでも先輩……課題、落っことしたのは痛かったですね」
「そうなんだよねぇ」
 当の万年保健委員長は、久々知の台詞に、一転どんよりムード。見れば床にのの字を書き始めてる。
「ああ、僕はこのまま不運が祟って、卒業できないかもしれない。そしたらどうしよう。浪人生に就職先なんかなく、フリーでやってける筈もなく、不運を背負って、野垂れ死ぬのか……」
 おいおいおい、そりゃあ飛躍しすぎじゃ。でも、項垂れて、背中を丸めて、嘆く伊作先輩が可愛くて、僕は茶目っ気を出した。
「じゃあ、先輩。その時は僕がお嫁さんにもらってあげますから」
 ぴた、と動きが止まった。まるで時間が止まったかのように。
「……あ、包帯巻く前に、傷口拭っとこうね。ちゃんと清潔にしとかないと」
「どうもすみません先輩。そこ、手が届きにくくって。お願いします」
 そして一瞬の後、何事もなかったかのように流れる時間。お陰で僕の発言はなかったことになってしまった。
 ……まあ、いいですよ。
 僕も『保健委員であること』が何より優先すべき任務であるような人を、嫁にしたくはないですから。
 傷口を丁寧に拭うと、先輩はあっという間に新しい包帯を巻き終えた。その手際の良さ。きっと評価してくれる城がありますよ、と思いつつ、僕は久々知と医務室を辞した。
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