悔しい
「あーっ!畜生っ」唐突に吠えると、同室の雷蔵がびっくりした顔をこっちに向けた。
「三郎……まだ治まらないのか?」
「治まるものか。何度思い出しても悔しいったらありゃしない」
「まあまあ。…ほら、三郎だって善戦したじゃないか。夏休み25日確保しただけでも立派なものだよ?四年生なんて可哀想に、夏休み無しなんだから」
「善戦したって仕方ない」
僕は雷蔵にびしっと言う。八つ当たりだというのは大いに分かっているけれど、どうにも言わずにいられない。
「忍者は結果が全て。結局のところ、勝てなかったのだから。僕は負けた。それが悔しいんだっ!」
「でもまあ……あれに勝つのは、誰であれ、無理だろうと思うよ……」
雷蔵の顔に笑みが浮かぶ。きっと今日のクライマックスを思い出したのだろう。あの奇想天外な決着は、その場にいた時は呆然と見守るしかなかっただろうけれど、後から思い返せば笑い話以外の何物でもないな、確かに。
今日、学園長突然の思いつきの、夏休みをかけた大借り物競争が行われた。
各学年代表一名ずつと、くの一教室の代表、教職員代表の計八名で競われたのだが、我らが五年生の代表は、くじ引きの結果、この僕、鉢屋三郎が引き受けることになった。
僕の引いた借り物の紙は『井戸』。『井戸』と言えば『カエル』。僕は生物園に走り、伊賀崎孫兵のペットの中からきみ太郎を拾い出すと、すぐに裏々山へ走った。
学園を出たのは、立花先輩とほぼ同時。
裏々山までの道は、いつも実習で走り回っている庭みたいなものだ。しかしそれは相手も同じ。立花先輩の走りには無駄がなく、すべるように早い。
いっそ苦無の一本も投げて妨害するか。しかし軽くかわされる可能性を考えれば、投げる時間だけこちらが不利になる。むしろ、火薬の達人である立花先輩の方が、宝禄火矢の一つでも投げて寄越しそうなものなのにとちらりと横顔を伺えば、不敵に微笑む女のように白い顔。
下草を踏み分け、梢を潜り、道なき道をひた走る。妨害の可能性はないと走りに集中した僕は、時に立花先輩を追い越し、追い越され、壮絶な先頭争いを演じた。
あと少しで頂上。絶対に負けない――!
と、僕が持てる限りの力を振り絞って地を蹴った時、それが降ってきたのだ。
「何い!?」
一瞬上がった声は立花先輩のもの。先輩だって、いきなり上から降ってきた畳には気を取られたのだ。だが、それなのにしかし。
ほんのわずか。審判は、立花先輩の方が半身先だったとか、水筒が前に出ていたからとかで、立花先輩を二位、僕を三位に決めた。
僕は立花先輩に負けた。
「偶然や運に負けるのは、さほど悔しくないさ。ただ、実力で負けたのが悔しくてならないんだ!」
そんな風に言えば、察しのいい親友は、僕が何を悔しがってるのか、理解したようだ。
「ああ、つまり三郎は、立花先輩…っていうか、六年生に負けたのが、悔しいんだ」
思い返すのも悔しいので、相槌なんか打ってやらない。
「三郎って、どうしてこう、六年生に対抗意識燃やすのかなあ。あっちは一歳上なんだし、負けたって仕方ないと思うけど?」
「……そういう問題じゃないんだ」
無論、年上だろうがなんだろうが、僕よりさほど実力がある訳でもないのに威張りくさる奴は目障りだが。今の六年生に対しては、そういうことではないのだ。
伊作先輩。
六年生達の切り札にして、掌中の玉。
あの人を得るためには、まず、あの人の周りにいる化物のような守護者達を排除していかなければならないのに。
それだというのに。今日はしっかり、立花先輩に負けてしまった。
こちらを見て不敵に微笑んだ白い顔。
「ああっ、思い出すだに悔しいっ!」
拳を固めて怒りに震える僕を、雷蔵は呆れたように見守っていた。