合戦場は熱気に支配されていた。お互いの足軽部隊がぶつかって、押しつ押されつ混戦の模様を呈している。方々で奇声が上がり、そこかしこで気勢を上げている。自軍有利の前評判だが、敵も簡単にはやられてくれないらしい。ぶつかり合いはなかなか収束しそうになかった。
兵が群がる草原を見下ろしつつ、若い男は、さて、と呟いた。俺の上司はどこにいるのか。目の前の合戦のさなかでないことだけは確かだ。とすると、主戦場から少し離れたこの辺りの木立か。それとも草原を挟んで反対側の川辺か。
彼の上司は、不意に姿をくらますことで有名だった。何かの作戦行動中であっても、ふらっと姿が見えなくなる。どこへ行ったか分からない。今は組頭という立場に居て、仲間とチームワークで作戦行動をこなすことは少ないけれども。ヒラ忍者だった頃、あの上司と組まされた相手は苦労しただろうなあと、彼は同情をこめて思う。何故なら今、自分が同じ苦労を背負っているからだ。
木立の中を木から木へ飛び移りながら、上司の気配を探る。ずっと本陣に詰めていた筈が、いつの間にか姿を消していた。一体どこへ行ったやら。
合戦場を離れて他所へ行っちまったんなら厄介だな。そんなのを探し出せる訳がねえ。そうなったら、合戦が途切れたらそれを機会に引き上げるか。若い男が算段をつけた時だった。
「……お頭」
草むらの中に、見慣れた黒装束を発見した。音も無く木から下りると、草を揺らさないように注意しながら近づく。
「なあ、切り傷ってどうやって手当てするんだっけ」
「え、お頭、どっか切られたんですか!?」
うちの組頭に手傷を負わせるとはどこの忍びだ、といきり立つ若い男に、組頭と呼ばれた男は、まあまあと鷹揚に手を振る。
「私が切られたんじゃなくてね。手当ての方法を、お前は知ってるかと」
なんだ無事なのか。行方不明になって人に心配かけといて、あまつさえ紛らわしいことを。若い男は憮然とした面持ちで吐き捨てた。
「んなの知ってる訳ないじゃないですか。そういうのはどっかのガキに……」
いた。そのガキが。
組頭が僅かに体をずらすとその先に、どっかのガキが寝転んでいるのが見えた。
黒装束と違って、深緑色の装束は草むらに身を隠すのにぴったりだ。しかしそのガキは、横たわったまま身動きひとつしない。
「……死んでるんすか?」
「気を失ってるだけなんだけどね。怪我しちゃってて」
ほら、と指差す先を見れば、左腕の上腕部に何やら布が巻かれてる。しかし白いはずのその布は、既に真っ赤に染まっていた。
「とりあえず持ってた包帯を巻いてみたんだけどね。血、止まったかなあ」
「さあ……?」
血が止まったかどうかと聞かれたら、それは分からない。しかし若い男には、その出血が止まっていようと、ましてやガキが死んでいようと、まったくどうでも良かった。
いや、いっそ死んでてくれた方がありがたいかもな、とちょっと物騒なことさえ考えている。そうすれば、組頭が忍術学園に足繁く通うこともなくなるだろうし。組頭が行方不明になる原因が一個減るのはいいことだ。まったく、何も言わずにいなくなるから、所在を探す方は本当、大変なんだって。
風が吹いて、草がさわさわと揺れた。合戦場の喧騒が伝わって来る他は、静かなものだ。よく見ればそこここに人が転がっているけれど、みんな死体かもしれない。呻き声一つしない。
「で、いつまでこうしているんですか?」
「いつまでかなあ」
組頭はガキの顔に視線を落としたまま、動く気配が全くない。やれやれ、と若い男は溜息をついた。
「ていうか、なんでこのガキがこんなところにいるんです?」
「さあね。実習かなんかじゃない?」
はた迷惑だよなあ、と思う。学生の身分で、合戦場なんて来るんじゃねえよ。殺しても殺されてもいい覚悟が出来てから来い。そうでなければ俺たちのように、殺し合ってる連中から上前をはねるくらいの気概でないと。
「で、ヘマして怪我ですか?」
ざまあねえな、とまで言うと流石に組頭の気分を害するだろうから、喉の奥に留めておく。しかし男のそういう気分は、組頭には充分に伝わっている。
「伊作くんも頑張ってたんだけどねえ」
苦笑い、という気配。覆面と顔一面に巻かれた包帯のせいで顔の動きは読めないけれど、長く近くにいるせいか、雰囲気を読むのは上手になった。組頭は今、苦笑いしている。
「弓足軽隊の隊長が矢傷を負ったらしくてね。手当てのために合戦場から出てきたところだったようだけど、そしたらそれを伊作くんが見つけてね。手当てしてたんだよ、ここで」
「はあ」
「でも隊長はどっかの忍びに尾行されててね。それは伊作くんも気付いてて、手当てしながら警戒してたんだけど。間の悪いことに、敵方の足軽兵が一人、ここへ紛れ込んで来ちゃったんだよ」
「おや」
「たまにいるんだよねー、ああいう、戦場来ると見境がなくなっちゃう奴」
覆面と包帯越しでよく分からないが、組頭はどうも口を尖らせてる気配だ。
「隊長って、結構ご大層な甲冑着込んでるからね。偉いさんの首を取れば大手柄だってんで、いきなり長槍持って突っ込んできた」
それでやられたんだろうか、と思っていたら、何故か組頭は嬉しそうな気配を見せた。
「いやー、伊作くんの勇姿、格好よかったよ。長槍を真ん中からへし折ってね。自分より頭二つくらい背の高い足軽兵を軽々投げ飛ばして。余裕だったね」
「へえ……」
このガキも多少は使えるのか。手当てしか能がないのかと思ってたけど。まああんな教師のいる学校に通ってれば、多少出来るようにはなるかな。
「でもそこで、尾行してきた忍びが出てきてね。いきなり刀で切りかかってきたんだよ。伊作くんも咄嗟には対応できなくてね。それで」
一端言葉を切ると、組頭は包帯だらけの顔を男へ向けた。
「それで、どうしたと思う?」
その声に紛れているのは、怒り。正確に言うと『怒ってるよ』という雰囲気のようなもの。
「……もしかして、庇ったんですか、弓足軽隊の隊長を?」
「そうなんだよ!」
ぐ、と握りこぶしを作ると、組頭は横たわる深緑を睨みすえた。
「なんでそんなことが出来るんだろうね?咄嗟に庇って、左腕切りつけられて、もんどりうって倒れて、石に頭ぶつけたかして気を失って……信じられないよ」
組頭が怒りを込めて睨みつけても、ガキが目を覚ます様子はなかった。それにしても、石に頭ぶつけて気を失うって。馬鹿かこいつは。
「そんでそれで……どうしたんです?」
「殺したよ」
あまりにもすぐ返事が返って来たから、誰のことだか分からなかった。思わずガキに目をやって、それから、組頭を見る。
「味方の兵に襲い掛かった戦忍なんざ、殺したって構わないだろ。あの辺に置いてある」
組頭が適当に手を向けた辺りには、確かに忍び装束の死体があった。
「もっとも、殺してやりたかったのは隊長の方だけどね」
「なんで。……ああ」
思わず聞き返してから、納得した。そういえば組頭は、このガキに入れあげてたんだっけ。
「……どうしてこんなことが出来るんだろうね。なんだってそんな見ず知らずの相手のために、自分の身を投げ出すようなことが出来るんだろう」
「馬鹿だからじゃないですか」
怒られるのを覚悟の上で、言ってみた。しかし組頭が怒りを向けるのは、ただこの横たわる子供に対してだけみたいだった。
「ほんっとに、馬鹿だよねえ……」
信じられない。あり得ないよもう。ぶつぶつこぼれる呟きに、茶目っ気を出してみた。
「大丈夫ですよ。組頭のためにも、身を投げ出して庇ってくれますよ」
「へ?」
「……怪我してて、手当ての途中なら」
「お前はーっ!」
腕が伸びて、頭頂部をぽかりとやられた。目に涙が浮かぶ。
そんなもう、本気で殴らなくてもいいじゃないですか!
「でもきっと、そうなんだろうなあ……」
小さな声は聞こえない振りをして、話の続きを促した。
「それで、その隊長はどうしたんです?」
「とっとと返したよ。合戦場に」
「で、このガキの手当てしてたんですね」
「うん」
そしてこうして、気を失ったガキを見守っている、と。男は心の中で溜息をついた。
組頭の骨ばった指が、ガキの前髪に絡まった落ち葉を取ってやる。指が顔に触れないよう、細心の注意を払いながら。
組頭のこのガキに対する入れあげ方も、よく分からない。そんなに好きなら、とっとと掻っ攫って来ちまえばいいのに。全然そんな様子はない。時折忍術学園に忍び込むが、押し倒してものにするどころか、話しかけさえしない。相手に感づかれない距離から顔を見て、気配を伺うだけ。そんなんで楽しいんですか、と聞くと、楽しい、という返事だった。私はあの子を見守りたいんだよ、と、組頭のはにかんだ笑顔なんて初めて見た。
今だってガキが気を失ってるから、こんなに間近に居られるんだろう。意識があれば、手当てなんかしなかったかもしれない。包帯を巻くためには腕を持ち上げたりしただろうけれど、もしかしたら、ガキに触ったのはこれが初めてなのかも。めまいがしそうだ。百戦錬磨、海千山千、泣く子も黙るタソガレドキ軍の忍び組頭がこの有様だ。
「こんなガキのどこがいいんだか」
確かに顔立ちは綺麗ですけどね。と、揶揄するように言うと、分かってないなあ、と返ってきた。
「まあ、お前に分かるようでも困るんだけどね。お前まで伊作くんに惚れられちゃあ困るし」
「はあ」
筋金入りだな、もう。好きにして下さい、とそっぽを向いたところで、気配に気付いた。
「伊作ー、おい、どこだー」
声が聞こえるより先に、樹上に飛び上がって身を潜めた。ややあって近づいて来たのは、横たわる深緑と同じ色の忍び装束。
「おーい、伊作……伊作っ!?」
やがて倒れてる朋輩に気付いたのだろう。駆け寄って抱き起こすと、激しく揺さぶる。
「……あ……とめさぶろ……」
間の抜けた声。ゆっくりとその目蓋が開かれる。ち、生きてたか。
「どうしたんだこんなところで。まあ、お前のことだから……」
「うん、怪我人がいたから手当てしてたんだけどね。忍者と足軽兵に襲われちゃって」
へへ、と笑った顔の、頭頂部に拳骨が降る。馬鹿者、の怒鳴り声と共に。
「襲われちゃって、じゃねえだろう!だからはぐれるなってあれほど……」
「留三郎ごめんー。無事だったんだから怒らないで」
「……無事じゃねえだろ」
「へ?」
後から来た方が指差すと、ガキはようやく自分の左腕の怪我に気付いたようだった。
「あ、そうだ。刀で切りかかられたんだった。……これ、留三郎が?」
「いや、俺が来たときには手当てしてあった」
「ふぅん……誰が包帯巻いてくれたんだろう」
ガキが首を捻って、包帯に触る。しかし包帯というよりそれは、赤い布だ。
「お前が手当てしてやった奴じゃねえか?お返しに、とか」
「うーん、誰でもいいけど、巻き方が甘いよね。もっとしっかり巻かないと止血にならない」
おいおい、手当てされておいてその台詞かよ。隣で組頭が涙目になりかけてる。
「まあ、何でもいいから帰ろうぜ。撤収だって」
「了解」
手を貸してもらって立ち上がると、ガキは辺りを見回した。
「……どうした?」
「ええと……、でも、こんなところに居るわけないよね。結局会えなかったなあ」
「だから、何に」
隣のが重ねて問えば、ガキは小さく微笑んでみせた。
「忍び組頭さん」
その一言に、組頭の動きが全て止まった。
「せっかくタソガレドキの合戦場に来たんだから、お目にかかれたらいいなって思ってたんだけどね。忍術学園に味方してもらって、一年生を助けてもらったお礼を、まだ言ってないし」
隣にいる組頭は、瞬きも忘れてガキを凝視している。しかしそんなことなど知る由もないガキは、暢気に溜息なんかついてた。
「でも無理だよね。お忙しいだろうしね」
「当たり前だろ、忍び組頭だぜ?今頃は本陣で城主の側に詰めてるさ」
「そうだよねー。残念だけど、帰ろっか」
二人は合戦場とは反対側の方角へ歩き出した。やがてすぐ、その姿も見えなくなる。
「……お頭?」
「うん」
声をかければ返事があった。良かった。息をするのも忘れてたらどうしようかと思っていた若い男は胸を撫で下ろす。
「お頭のこと、ちゃんと覚えてたみたいですね」
「うん」
「お目にかかれたらってねえ。別に合戦場まで来なくったって、学園にいる時にふと振り返ればそこにいるかもしんないのに。全然気付いてないんだから」
「それがいいんだよ」
組頭の右目がにやりと笑った。かなり機嫌がいい印だ、と若い男は思う。
あのガキが、お頭のことを覚えてて気にかけてたってだけで、そんなに嬉しいかね。
合戦場からは相変わらずの喧騒。しかしかなり日が傾いてきた。今日は夜戦になるのかどうか。
「お頭。そろそろ戻りませんと」
「そうだな」
まだ名残惜しげにガキが消えた方を眺めていた組頭が、何の前触れも無く、先の方にある木に飛び移る。
「うわあ、待って下さいよー」
鮮やかに樹上を走る黒装束二つは、あっという間に合戦場に消えた。