うららかな春の昼下がり。
うるさい連中が不在のため、たまに雲雀の声が聞こえるほかは、六年長屋に静寂が満ちていた。
日頃学園中騒がしいだけに、こうした静けさは貴重だ。文机に置いた本のページをめくれば、ぱらりと紙のたわむ音が耳についた。
滅多にない読書に適した好環境なのだが、昼過ぎというけだるさ故か、瞼は重くなりがちだ。一人の部屋で欠伸をかみ殺す。
しかし突如その静寂を破り、とたとたと緊張感のない足音がしたかと思ったら。案の定薄い色の髪が、開け放しておいた障子から飛び出してきた。
「あ、仙蔵がいた。良かった!」
同学年にして学園最強の不運を誇る善法寺伊作は、戸口に姿を現すなり、にっこりと笑った。
「あのさ、文次郎と長次と小平太、どこにいるか知らない?」
どこかに出かけていたのか、伊作は私服姿だった。部屋の中を覗き込むと、明るい色の髪が揺れる。
「確か三人揃って、裏々山まで鍛錬に行くとか言ってたぞ」
「えっ……それって、いつ頃?」
「つい今しがた、だな」
「そんなあ」
私の返答に、伊作はがっくりと項垂れた。
「どうした。三人に用事か?」
「……いや別に、用ってほどのことじゃないけどさ」
一旦項垂れていた頭を起こすと、長い髷がぴょこんと跳ねた。その後に、伊作の顔が現れる。
「仙蔵は今、ひま?」
「見ての通り、読書中だが」
私は文机の本を手に取って、伊作の方にも見せた。
「じゃあ、お茶に誘ったら悪い?」
そう言いながら、伊作は手にしていた風呂敷包みを、胸の前で軽く振った。
「今日、保健委員の用事で町に出かけた帰りに、乱太郎が教えてくれた美味しいって評判のお団子屋さんに寄って来たんだ。それでみんなの分も買ってきたんだけどさ」
それだというのに、あの三人は鍛錬に出かけたところというのか。折角買ってきたというのに、伊作は本当に間が悪い。これが不運という奴か。
それはそれとして、帰ってきたら小平太辺りがさぞ口惜しがることだろう。それを想像して口の端に上りそうになる笑みを噛み殺す。
「留三郎はどうした」
「それがさ、今ちょうど、部屋の前ですれ違って。……これから委員会だって」
「成程」
頼みの留三郎にまで振られては、為すすべがないのだろう。伊作は神妙な面持ちで私に迫った。
「ね、仙蔵、みんなの分も一緒にお団子食べない?お茶淹れるよ」
「そうだな。折角だからごちそうになるとするか」
「やったあ!」
そうまで頼まれては、断れまい。どうせ暇を持て余していた。私が本を閉じて頷くと、伊作は飛び上がって破顔した。
「じゃあ、悪いけどうちの部屋まで来てくれる?準備して待ってるよ!」
「ああ」
身を翻して駆けて行く、その身のこなしは速くても、廊下を駆ける足音には相変わらず緊張感がない。
「まったくあいつは」
何がそんなに嬉しいんだか。呟きと共に笑みが漏れた。六年生になったのだというのに。足音を忍ぶ必要がないからといって、無邪気なものだ。あの足音は、一年生の頃から変わらない。
「それにしても、仙蔵がいてくれて本当に良かった」
骨格標本のコーちゃんに迎えられて、衝立で区切った部屋の一角、火鉢やら壷やらが置かれた辺りに腰を落ち着けた。
「留三郎まで出て行っちゃうんじゃさ。この六本ものお団子を抱えて途方に暮れているところだったよ」
「大袈裟だな」
私の正面に座る伊作は、頃合をみて、盆から急須を取り上げた。こぽこぽと音を立てて、急須から湯飲みに茶が注がれる。
「でもさ。今しがた鍛錬に出たってことは、帰りは真夜中か明日の朝だよね。流石にその頃にはお団子も固くなってるだろうし、一人でやけ食いするにも六本は多いしさ。ささ、遠慮なく手を出して」
「うむ」
そう言いながら、渡される湯飲みを受け取った。香ばしくも芳しい香りが立ち上る湯飲みに、口をつける。
「……これはなかなか美味いお茶だな」
「あ、分かる?新野先生に少し分けていただいたんだ」
伊作は嬉しそうににっこり笑って、茶筒を振りかざしてみせたが。
「普段薬を煎じている鉄瓶で沸かしたお湯でなければ、もっと美味いのだろうがな」
「う」
伊作が言葉に詰まったのは、無論、団子を喉に詰まらせたせいではない。私は一本取ると、口に入れた。
「よく洗ったんだけどな……やっぱ、薬臭い?」
「このなんとも言えん匂いは隠しようがないぞ」
「ああ、やっぱり……」
傍らの火鉢を見遣ると、水を差されたばかりなのか、上に置かれた鉄瓶からはほんのりと湯気が立ち上っていた。普段から伊作が愛用している品だ。
「食堂から鍋でも借りて来た方が良かったのではないか。それかいっそ、あちらで湯を沸かしてもらうかだな。不精して妙な匂いをつけていては、折角の茶葉が泣くぞ」
「うーん、まずいかなあ、とは思ったんだけどさ」
万年保健委員は、ちらりと舌を見せた。
「でも、せっかくの休日に、おばちゃんの手を煩わせるのも悪いかなあと思って。……なんて言い訳だね。ごめん、不精しました」
「この不精者」
「あはは」
言ってやれば、伊作は乾いた笑い声を上げた。それからすぐに、そうそう、と話題を変えてくる。
「そういえば、仙蔵、サラストランキング一位だったんだって?」
「さらすと……何だ?」
「サラサラストレートヘアのランキングだよ」
「ああ」
そう言えば、前にくの一達が何か言っていたか。後輩達も何か言っていたが、さほど興味がないのでなんとも思っていなかったのだが。
「いいなあ……仙蔵の髪って、ほんと綺麗で真っ直ぐだもんね。羨ましい」
伊作が私の肩の後ろを覗き込むようにしているので、髻を肩から前に垂らしてみた。しかしその髪も、すぐに後ろに流れて行ってしまう。
「まるで絹糸を束ねたみたいだよねえ。いいなあ、すっごいサラサラで」
「そんなに羨むようなものか?」
「ものだよ!」
しかし私が軽く言えば、何故か伊作は勢い込んで、噛み付かんばかりだった。
「僕なんかさー、ぼさぼさでばさばさで、ちっともまとまらないしさ。髪洗って、うっかり乾く前に寝ちゃった次の日の朝なんて凄いよー、宝禄火矢で爆発したみたいになってるんだもん」
「爆発?」
「髪の毛が全体にもっさり持ち上がってね、しかも四方八方に跳ねたりする」
こんなだよ、と伊作は自分の頭よりふた周りほど広いところを抱えて見せた。
「仙蔵の髪はこんなにサラサラなんだもん、広がっても膨らまないだろうなー。いいなー」
「しかし、伊作。お前はそう羨ましがるが……」
私は食べ終えた串を皿に戻すと、私は軽く伊作を睨んだ。
「この髪質も、なかなか不便なものだぞ」
「不便?」
「髪にこしがなさすぎてな。纏めるのに苦労する。鬢付け油なしには、結うこともままならん」
「……そうなんだ」
「そうだ。だからさほどうらやましがるような良い髪質ではないぞ」
返事だけは気が抜けていたが、伊作は何故か、その大きな目を何度も瞬かせて私の方を見ていた。
「……何だ」
「珍しいね、仙蔵が愚痴こぼすの」
愚痴かこれが。自身の髪についての説明だと思うのだが。
しかし私が何を言うより早く、伊作はにっこりと微笑んだ。
「愚痴でも何でも聞くよ、僕でよければさ。そういうの慣れてるし」
確かに、医務室に体の不調のみならず、心の不調を訴え出る輩も多いとは聞くが。
伊作があんまり晴れ晴れと、一点の曇りもない五月晴れの空のように言うから。日頃秘めたままにしている心の内を、ふと明かしてみようという気になった。
「では一つ、聞いてもらうとするかな」
私は手に取りかけた湯呑みを置くと、心持ち伊作に向き直った。
「うん」
伊作もさりげなく居住まいを正すと、食べかけの串を置いて聞く体勢に入った。
「同級生のことなのだが」
「うん」
「割合使える奴なのでそれなりに信頼しているのだが、ここぞという時に力を発揮できない不遇さを持ち合わせていてな」
「うんうん」
「まあ、そういうキャラ……もとい、星まわりなのだと解釈し、いざという時に活躍できなくとも仕方ないかと思っていたのだが」
「うん」
「その奴がやってくれたのだよ。私の、いや、ひいては学園全体の足を引っ張ってくれた」
「な、何があったの?」
学園全体、と聞いて驚いたのだろう。勢い込んで聞いてくる。
「先日のことなのだがな」
「うん」
「休み明けすぐに、学園全体に出動のかかったことはお前も知っているだろう。動くのは学園全体としても、細かくは委員会単位で動くことが出来るなら、上級生が下級生の面倒を見、なおかつ安全に導くことが出来る。敵は六人、というより、六組であり、確かに一学年一殺でちょうどよい数だが、しかし下級生を下級生だけで行動させるには多少の不安が残る。どう考えても委員会単位で動く方が得策だという時にだな」
急におし黙った相手に、私はにやりと笑って見せた。
「そいつは落とし穴にはまりおったのだ。……奴の属する委員会は、確かに不運委員会などと呼ばれているが、ここまで顕著にその特性を露わにすることもなかろうに。おかげで乱太郎をまかせることが出来ず、委員会単位で動くことが不可能となり、我らは心を痛めながら、下級生たちを下級生だけで敵の領内へ送り込まねばならなくなったのだ。まったく、困った同級生だ」
言い終えて再び湯呑みを手に取り茶をすすれば、目の前の深草色の塊はじと目でこちらを睨んできた。
「どうした、伊作」
「……それって僕のこと!?」
無論、とうなずいてやれば、伊作は愛玩犬のようにきゃんきゃん吠えた。
「もうっ、なんで僕のことを僕に愚痴るんだよっ!ていうか、僕そんなに足引っ張ったっけ?だいたい、委員会単位で動いてはいけない、って言いだしたのは仙蔵だろう!?」
犬っころの如く愛らしく吠えていた伊作だが、疲れたのかその場にへたりこむように背を丸めると、盛大にため息をついた。
「文次郎のことかと思ったらさあ……まったくもう。それじゃあ愚痴っていうより嫌味だよ」
「そうかもしれんな」
「まったくもう……」
追い打ちをかけると、伊作は悲しげに呻いた。
「せっかく、仙蔵に頼りにされたかと思ったのに……」
「なんだ、頼りにされたいのか?」
「そりゃあね。同級生なんだし。助けられるばっかりじゃなくて、僕だってみんなを助けたり、支えたりしたいよ」
それこそ愚痴めいてぶつぶつ呟くと、伊作ははっきりと顔を上げて私の顔を見た。
「でも仙蔵は、あんまり怪我もしないし。もちろんそれって忍者として優秀な証だし、怪我なんてしない方がいいんだから、それでいいんだけどさ。そうすると僕に出来ることなんて何もないし、そもそも仙蔵は人に弱みを見せないし、愚痴ったりぼやいたりすることもまれだし」
そこで言葉を切ると、不意に伊作の目が真剣味を帯びた。
「ね、誰でもいいんだ。僕じゃなくて誰でもいいから、仙蔵が弱みを見せられる相手って、いる?強くて優秀なだけじゃなくて、仙蔵の繊細なところをありのまま受け止めてくれる人って、いる?」
思いがけず真っ直ぐな強い瞳が、冗談ではぐらかすことを許してくれそうになかった。
適当なことを言ってこの場を切り抜ければ、伊作はどこまでも追求してくるだろう。そして私にそんな相手がいそうにないことが分かれば、自分を頼れと、力になると、言い出すに決まっているのだ。
だから。
「いる」
私は伊作の目をはっきりと見据えて、きっぱりと言い切った。
「本当?だれ?」
「野暮なことを聞くな」
そう言いつつ口元に笑みをのぼらせれば、何を思ったか、伊作は頬を赤らめた。
「いるなら、いいんだ。……そっか。なら良かった」
頬を赤らめたまま、えへへ、と曖昧な笑みを浮かべた。
「ごめんね、変なこと聞いて。でもさ。仙蔵って、本当に強くて綺麗で……顔とか姿形のことだけじゃなくてね、人に頼らないその姿勢が、凄く格好いいっていうか、潔いっていうかね。僕なんか羨ましいっていうか憧れてるんだけど、でも、仙蔵のありようが美しければ美しいほど、近寄り難い気もしてさ。みんな、もう一歩ってところで踏み込めずにいるっていうかさ。だから、誰か仙蔵のすぐ傍まで踏み込んで、仙蔵のこと、丸ごと受け止められないかなあって、思ってたんだ」
曖昧な笑みを浮かべたまま、伊作はこめかみのあたりをかいた。
「文次郎なら、それが出来るかと思ってたんだけど」
「……何故私が文次郎などに」
思いもかけぬ名前に呆れて呟けば、伊作は、ああ、まあ、仙蔵はそう言うだろうと思ったけどね、などと口の中でもごもごと呟いた。
まったくこいつは。私はふっと鼻で笑った。
「しかし私も落ちぶれたものだな。伊作ごときに心配されるとは」
「ごときってのは何だよ、ごときってのは」
不満だとばかりに頬を膨らます姿は、一年生のようで愛らしい。
「六年生にもなって下級生の作る落とし穴にしょっちゅうはまり、裏山に登れば崖から転げ落ち、川で転んではびしょぬれになり、山を歩けば猪罠にはまるような奴に心配されるようではな。私もまだまだだと言いたい訳だ」
「う」
すべて図星を指されたせいだろう、心持ちあとずさった伊作は、突如笑顔を浮かべるといきなり話題を変えてきた。
「そういえば話を元に戻すけどさ。仙蔵ってリンスとか何かそういうことしてる?」
「いや別に、しておらんが」
「そっかー、リンスなしでその髪なんだ。いいなー、羨ましいなー」
ちょっと触ってもいい?と聞くので、返事代わりに背中を向けてやった。
「ほんっと、さらさらだね。艶もあって、綺麗で。しかも長くて」
そう言いながら、伊作は私の髪を手に取ったようだ。背中が少し軽くなる。
「そうだな。随分伸びた」
「仙蔵って、入学してから髪切ったことある?」
「いや、ない」
「僕もなんだ。……ずっと短くしたかったんだけどさ。自分で切ると、切りすぎて髪が結えなくなりそうで怖くて。でも留三郎に頼んでも、自信ないとかそのうちとか言うばっかりでちっとも切ってくれなくて」
私の髪を指で梳いていた手が離れたと思うと、そうだ、という声と共に、ぱちんと手の合わさる音がした。
「今度文次郎に頼んでみようかな。文次郎はいつも短くしてるし、長さの加減とか分かるよね。よし、留三郎が切ってくれないなら、文次郎に頼んでみよう!」
伊作は明るい声を張り上げた。
さて、文次郎に言い含めておかなければ。……いや、私が何を言うまでもないか。奴は風呂上がりの伊作に会えばいつも、肩に垂らしたその髪を、憧憬とも思慕とも欲情ともつかぬ目で見つめている。
おそらく留三郎も同じ。他人の髪を切るのが嫌だから、自信がないから切らないのではないだろう。伊作の髪を愛でればこそ、このふわふわの明るい色を残したいからこそ、切ろうとしないのだろう。
伊作の手が離れたのをいいことに、私は背を向けていたのを元に戻した。
頭巾をはずして、にこやかに笑む顔の周りを明るい色が縁取っている。奴らが愛でるその髪を、私も堪能したくなった。
「私が切ってやろうか」
「え、本当!?」
試しに持ちかけてみれば、伊作は小躍りせんばかりに飛び上がった。
「まあ待て。その前にお前の髪を見せてみろ」
「うん!……ああでも、ほんっとぼさぼさだからさ。仙蔵に見せるの、なんか恥ずかしいけど……」
そう言いながらも、伊作はこちらに背中を向けた。
「元結を解いてみろ」
「う、うん」
常に髪を結っている身としては、風呂でもなければ人前で髪をおろすことなどない。いつもはしない行為に緊張するのか、何度か指をすべらせながら、元結を解いた。
豊かな明るい色の髪が、背中一面にぱさりと広がる。
この髪の色を何色と言えばいいのか。茶色と呼んでしまっていいほどのっぺりした色ではない。黒といえばそうだが、この髪は陽に透けると金色に光る。その金色を少し薄めたような、黒に陽の光を混ぜたような色。他の者のように、例えば私のように、闇だけを背負ってはいない。伊作はそこに、陽の光を含んでいるのだ。
緩やかに波打つ髪が、風をはらんで大きく広がる。私は一房手に取った。
そのあまりにも柔らかな感触に、私は唇で触れみた。
「……せ、仙蔵?何してるの?」
背を向けたものの、背後で私が黙っていることが気になったのだろう。なるべく頭を動かさぬようにして、しかし後ろを気にしながら、伊作が聞いてきた。
「呆れているのだ」
声に僅かな怒りの響きを含ませてやれば、髪の根元は狼狽したようだ。
「あ、あきれて?」
「そうだ。なんだこの痛んだ髪は。そこら中、枝毛だらけではないか!」
「え、そうなの!?」
伊作は振り向こうとしたらしいが、私が手にしていた髪を握る方が一瞬早かった。引っ張られてひきつれたらしい伊作から悲鳴が上がる。
「い、痛たたた、仙蔵、痛いよ!」
「このようにに痛んだ髪は、素人の手に負えるものではないな。いっそプロの手にかかるがいいぞ。見ろ、この枝毛を」
掴んだ髪の一部を目の前で振ってやれば、髪が顔に触れてくすぐったいのか、今度は笑いだした。
「み、見ろったって、こんな近くじゃかえって見えな、っていうか、ひゃあ!くすぐったいって!」
伊作は離れようとするが、私の腕がそれを許さない。後ろから抱きかかえるようにして、伊作の髪で、耳元や首筋をくすぐってやった。
「ひゃん!やだ仙蔵、くすぐったいってば、あははは、や、そこは!」
色気のかけらもない笑い声をあげてじたばた暴れる伊作を、半ば抱きしめるようにして押さえ込んだ。
……なあ、伊作。
案ずることはないのだ。
お前は充分、私を許し、受け入れ、支えてくれている。私はお前を頼りにしている。
だから、お前さえそこにいてくれればいい。私に一歩踏み込んで、すべてを受け入れてくれる相手など、必要ないのだ。
しばらく腕の中でくすぐりまくってやったが、頃合いをみて手を放した。私から一尺ほど距離を取った伊作は、顔を赤くして髪を振り乱したまま、肩で息をしている。
「相変わらずのくすぐったがりだな」
「そ、そんなことないよ!」
「なら何故、自分の髪の毛でそうまで暴れまくる」
「それは仙蔵が押さえつけるから……!」
「なんだ、私のせいなのか?」
半ば見下ろすようにして伊作を見やれば、伊作はまたもや、う、と息を詰めた。
「……僕がくすぐったがりだからです」
「うむ。素直なのは良いことだぞ」
私はしたり顔で、残りの茶をすすった。
「さて。団子もいただいたことだし、そろそろ帰るとするかな」
目の前には、伊作が暴れたせいで、食べ終えた団子の串が散乱していた。いさくと書かれた湯呑みも転がって、小さな茶の水たまりを作っている。私は手を合わせ「ごちそうさまでした」と挨拶すると、それらの惨状をひらりと飛び越えた。
「なかなか美味い団子だったぞ」
「……お粗末さまです」
後かたづけの上に髪も結い直さねばならぬとあっては、気が重いのだろう。精彩を欠く返事を尻目に、私はコーちゃんに挨拶すると後ろ手に障子を閉めた。
目の前には麗らかな日差しのさす庭があった。
葉の茂りかけた紫陽花には、蝸牛が這って行くのが見える。澄み渡った空を雲雀が飛んでいく。
さて、文次郎が帰ってきたら、いかに団子が美味かったか聞かせてやるか。私はいつになく愉快な心持ちで、自室へ向かった。
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