五年ろ組の昼休み・竹伊編

 昼休みも半ばを過ぎた頃。とたとたと軽い足音が聞こえたと思ったら、戸口に深草色の制服が姿を現した。
「竹谷、いるかな」
「伊作先輩」
 声をかけつつも先輩は教室の中を一通り見渡す。でも、今現在五年ろ組の教室にいるのは、僕と三郎の二人きり。
「竹谷は日直の用事で職員室に行ってます」
 三郎がすげなく答えると、先輩は「そっか」とがっかりした表情を浮かべた。
「ハチに何か用事ですか?」
「いや別に、特に用事ってことでもないんだけど。この前、借りた手ぬぐいを返そうと思って」
「充分立派な用事じゃないですか」
 何を思ったか、三郎はやおら立ち上がると、戸口までずんずん進んで行った。
「ハチももうじき帰って来ると思いますし、それまでどうぞ、こちらでお待ちください」
「って、え?」
 そして伊作先輩の手を取ったかと思うと、そのまま教室の中へひっぱって来た。今まで僕らが向かい合って座ってた机の前まで連れてくる。
 きょとんとした表情の伊作先輩の肩を押して、三郎は強引に座らせた。
「おいおい、三郎」
 ちょっと強引過ぎやしないか。視線でもって強く咎めると、僕と同じ顔がにっこり微笑んだ。
「これから職員室に向かって、行き違いになるのも何だし。ここで待ってるのが一番効率いいに決まってるから」
 何が決まってるから、だよ。伊作先輩と遊びたいだけだろうに。その証拠に、三郎は先輩の肩に手をかけたまま、先輩が腰を下ろした今もはずそうとしない。
「まあいいよ。どうせ僕も、昼休みは暇だったし」
 そう言うと、先輩はやんわりと、自分の肩から三郎の手を降ろした。なんて言うか、先輩も三郎の扱いに慣れてるなあ。
「ところで伊作先輩。前から先輩に聞きたいことがあったんですけど」
「うん、何?」
 三郎は何気なく、でもわずかに改まった口調で切り出した。
「伊作先輩って、ハチと付き合ってるんですよね」
 しかしそれを聞いた伊作先輩の頬は、瞬時に真っ赤に染まった。
「つ、付き合うっていうか」
 目が泳いでる。机に置かれていた手が、所在投げにもぞもぞ動いて。可愛い。
「でも、お互いに好き合ってる、恋人同士なんでしょ」
 三郎が軽く追い打ちをかけると、先輩はうつむいてしまった。
「え、違うんですか?」
「……違わない」
 さらに畳みかけると、俯いたまま、小さく答えた。やっぱり伊作先輩は可愛い。ていうか、いじらしい。
 しかし、いつまでも俯いてる訳には行かないと思ったのか、先輩はおもむろに顔を上げた。果敢にも反撃を開始する。
「で、そんなことを聞いてどうしようっていうんだよ」
「ええ、先輩に聞きたいことがあるんですよね。さっきのは、それを聞くための確認みたいなもんです」
「確認?」
「はい」
 話している間に少しさめた先輩の頬は、しかし次の質問で、また真っ赤に染まった。
「先輩って、竹谷のどんなところが好きなんですか?」
「そ、それはっ……!」
 でも今度は頬だけでなく、顔全体が赤く染まっていた。首筋までもほんのり色づいて、何だか艶めいた風情がある。
「どういうところですか?明るいところ、とか、優しいところ、とか」
「そ、それも、あるけど」
 頭巾をしてるのが惜しいかもしれない。頭巾をはずしていれば、先輩の小振りな耳が、真っ赤に染まってるのを見れたかもしれないのに。
「けど。他にどんなところがいいんです?」
「えっと、……その……」
 三郎はすっかり面白がっているのだろう。赤くなった先輩をつついて遊ぶ。ここは助け船を出すべきなんだろうけれども、赤くなって恥じらう先輩も可愛いし。このまま見ているべきか、三郎を止めるべきか。ああ、迷う。
「言えないようなところが良いんですか?うわあ、先輩ったら」
「違うよ、そうじゃなくて!」
 何だと思ったのだろう、先輩は噛みつくようにして叫んだ。それで少しは勢いが付いたのか、そうでもないのか、小さな声で呟いた。
「でも……なんか、恥ずかしくて」
「きゃあ。やっぱり恥ずかしいようなところが好きなんですね!やだ、先輩ってばもう!」
 小娘のように握り拳を口にあてて、三郎がきゃっきゃっと騒ぐ。
「だから違うってば、そうじゃなくて!」
 僕の顔のまま小娘ぶりっこするのはやめて欲しい。そう真剣に抗議しようとしたのだけれど、それより早く伊作先輩が遮った。
「そういうんじゃなくて……頭とか、撫でられるのが好きなの。それだけ!」
 赤い顔をして、先輩はぷいと、三郎から顔を背けた。
 だから先輩は知らないだろうなあ。三郎がでれでれとにやけきった顔をして先輩の方を見てるのを。ほんのり桜色の首筋を目にして、鼻の下が延びきってる。人の顔をしてる時に、あんなだらしない表情をしないでもらいたい。……でも僕も、多分今、三郎のことをとやかく言えない。僕も似たような表情をしてるだろうな。だって先輩、可愛いすぎ。
 それはともかく。ちょっと待て。
「頭とか……」
「撫でられるのが?」
 好きなんですか。二人そろって先輩をまじまじと見つめれば、視線の先で先輩が溜息をついた。
「だから恥ずかしいって言ったんだ……」
 そして俯く様子は、何だか落ち込んでいるようにも見えた。
「いやでもほら、頭撫でてもらえると、嬉しい時ってありますよね!」
 まずい。伊作先輩を落ち込ませたとしたら申し訳なくて、僕は懸命に同意を示してみた。
「僕、今でも中在家先輩に頭撫でてもらうと嬉しいですよ。下級生みたいでみっともないかなあとか思って、やめて下さいよーとかつい言っちゃうんですけど、本当は嬉しいんです」
「……そうなの?」
「そうです。あのおっきな手のひらには、安心感がありますよね」
 そこまで言うと、そうだよね、と伊作先輩の顔に笑みが戻った。ああ良かった。恥じらいはともかく、先輩に落ち込みは似合わないから。一安心した、が。
「要は頭を撫でればいいんでしょう?」
 そう言うなり、三郎は先輩の頭に腕を伸ばした。
「こんな感じですか?」
 なるべく丁寧に、を心がけてるんだろう。三郎の手はそっと伊作先輩の頭巾に触れ、優しく動いた。
「うーん」
 対する伊作先輩は、なるべく顔を動かさず、目だけで三郎の手を見上げた。
「それも悪くないんだけど、ちょっと違うよね」
「じゃあ、こんな感じ?」
 本腰を入れるつもりなのか、三郎が膝立ちになって伊作先輩に詰め寄る。そして、頭頂からうなじまで、髷を避けつつなで下ろす。
「ええっと……もうちょっと、力こめて」
「力をこめて……というと、こうですか?」
「お、重い重い!」
 手のひらで頭を押さえつける感じになってしまい、先輩は首を振ってその手から逃げた。
「じゃあどんなのならいいんですかー」
 三郎が口を尖らせる。僕は二人の間に割って入った。
「こんな感じでどうですか?」
 中在家先輩がやってくれるみたいに、まずは手のひらで頭を覆うようにして。それからその手を優しく滑らせてみた。
「あ、うん。そんな感じ。近い」
 伊作先輩は頷いてくれたけど、それでもまだ遠くハチには及ばないんだろうなあ。そんな表情だった。
「それじゃあ……こう?」
 三郎もさっき僕がやったみたいにして、撫でてみた。
「うーん、なんかやっぱり、違う、よね」
「近くありませんか」
「うん、遠い」
 きっぱりと言い切る伊作先輩に、ついに三郎が切れた。
「えーい、このっ」
「わっ、鉢屋、こら!」
 三郎は腕で抱き込むように頭を固定すると、これでもかって感じで、先輩の頭を撫でまくった。というより、手のひらで先輩の頭を滅茶苦茶にした。
「何するんだよ、まったくもーっ」
 解放された時、先輩の頭巾はぐしゃぐしゃになっていた。しょうがなしに頭巾を取ると、髷も少し乱れて、遊び毛がそこらじゅうから出ている。
「全くもう、ですよ本当に」
 しかし三郎は全く悪びれず、それどころか憮然とした表情さえ浮かべていた。
「たかが頭を撫でるだけのことに、なんでそんなにこだわりがあるんですか」
 その三郎の台詞に、僕と先輩は思わず顔を見合わせていた。
「こだわりっていうか……」
「ねえ」
 頷き合う僕と先輩に、三郎はさらに眉間の皺を深くした。
 そんな三郎に、伊作先輩は手を伸ばす。
「まあ、たかが、とか言ってるうちは、分からないよね」
 そうして頭を撫でてあげた。よしよし、と言葉をつけながら。
「鉢屋も生物委員とかになればさ、嫌でも撫でるのが上手になったんじゃない?」
 そうこうしているうちに、廊下に足音がした。開けっ放しの戸口から入ってきた人影に、伊作先輩がぴょんと立ち上がる。
「竹谷!」
「あれ、伊作先輩?」
 お互いに駆け寄って、教室の中央辺りで向き合う。微笑みながら見つめ合う。
「先輩がうちの教室にいるなんて、珍しいですね。何か用事でも?」
「うん、これ」
 先輩が懐から一枚の手ぬぐいを取り出す。
「昨日借りたやつ。今朝洗って干しておいたら、もう乾いてたから」
「それでわざわざ、届けに来てくれたんですか?」
「不便してたら悪いなーと思って、それで」
 ちらりと上目遣いにハチを見てから、えへへ、と、笑みを浮かべる。
「ありがとうございます」
 ハチはにっこり笑顔を浮かべると、先輩との距離を一歩つめた。
「実は今朝、手ぬぐい持ってくるの忘れちゃって。すごく助かります」
 そう言いながら、先輩の髪に手を添えると、そのままなでおろす。
「わざわざすみませんでした。でもほんと、ありがとうございます」
 何度も何度も、ハチは先輩の頭を撫でていた。先輩はくすぐったいような嬉しいような、何とも言えない可愛い笑顔を浮かべる。
 なんだかそこだけ殺風景な教室からは切り離されて、うららかな陽射しいっぱいのお花畑かのようだ。二人のとろけそうに幸せな表情は、そんな春の野原にこそ相応しい、みたいな。
「あー……」
 そんな二人に目をやりつつ、さっきまで伊作先輩が撫でてくれた辺りを押さえながら、三郎がうめいた。
「生物委員をハチに押しつけた時は、これでキツい・汚い・危険な仕事をやらずに済んだと安堵したものだったけど……」
「うん」
「よもや、こんな落とし穴があろうとは」
 悔しそうに呟きつつも、その口元は綻んでいる。
 何だかんだ言って三郎は、伊作先輩のことが大好きなのだ。もちろん、ハチのことも。二人が幸せならそれでいい、っていうのは、負け惜しみじゃなく、本心だから。
「委員会だけのせいじゃないと思うけどね」
 そう言うと、僕も三郎の頭を撫でてやった。
 そろそろ昼休みが終わる。僕はさっきはずした頭巾を手に取ると「伊作先輩」と声をかけた。

copyright(c)2009 卯月朔 all rights reseaved.

a template by flower&clover