5000Hit記念リク第六弾

とある新月の夜

 塀に登る時、よっ、と軽く声が出た。そろそろ丑の刻、新月がわずかに闇を薄めるだけの虫の声さえまばらな夜だというのに、ついうっかり声が出ちゃうのは、これが登り慣れた忍術学園の塀で、しかも実習帰りだからだろうな。気が緩んでるんだ。
 駄目だなあ、報告するまでが実習なんだから、もう少し気を引き締めないと。
 垂らしてもらっていた縄を手早くまとめ留三郎を見ると、相棒は一つ頷いて敷地内へ飛び降りた。そのすぐ横に、僕も飛び降りる、と。
 着地して立ち上がった留三郎の体が、ぐらりと傾いだ。このままでは倒れる。そう思った僕は、とっさに腕を伸ばしてそれを抱きとめた。
「ちょ、留三郎、どうしたの?」
「わり……」
 応える声に力がない。暗い上に覆面越しで顔色が分かりづらいが、表情はなんだか辛そうだ。立っていられないらしく膝が崩れ、抱きかかえたまま体がずるずるとずり下がっていく。
「留三郎?どうした、何があった!?」
 この力の抜け具合は、降りた時に足を挫いたとかそんなことじゃない。ずっと我慢していたのが堪えきれなくなったとか、数刻前に飲まされた毒が回ってきたとか、そんな感じ。
 留三郎の具合はどうだっただろう?ずっと無理をしていただろうか。毒を飲む機会があったか?
 確かに口数は少なかった。実習先の合戦場から走って帰って、でも裏々山に着いたらもういいから歩こうって言い出して、僕も疲れてたから同意して。水筒の水こそ飲んだけれど、他に不審な物なんて、何も口に……。
「うあっ……つっ!」
「留三郎?」
 ずり落ちる体を座らせようと腕を掴んだら、留三郎が呻いた。その箇所の袖をまくって、僕は息を飲んだ。
 服の上からは見えなかったけれど、べっとりと血。上腕部に大きな切り傷が出来ていた。
「いつの間にこんな……!」
 しかし詮索してる暇はない。乾いた血の様子から新たな出血はないと判断し、ともかく医務室に運ぼうと反対側の腕を肩にかけた時だった。
「いさっくん?」
 がさ、と近くの茂みが動いて、そこから顔を出したのは。
「小平太……!」
 地獄に仏、とはこのことかもしれない。小平太の後に続いて、文次郎、長次も姿を現す。
「留三郎が怪我してるんだ、手を貸して」
「大したこと、ねえよ……」
「……留三郎!しっかりして!」
 肩を貸していた筈なのに留三郎の体はずるずると沈む。僕は支えることも忘れてその胸に取りすがった。
 まだ新月の光の薄い、静かな夜のことだった。

 つい最近、留三郎に立て付けを見てもらった医務室の扉を、開いて僕は医務室に入った。
 奥の布団には留三郎が横になっている。僕はその枕元に座る文次郎の傍に、そっと腰を下ろした。
「報告は」
「今、担任の先生にしてきた」
「……そうか」
 四人で留三郎を医務室に運び込んだ。とっくに閉室していた医務室の灯明をつけて、水を用意して、傷口をあらためて、包帯を巻いて、装束を解いて、体を拭いて、夜着に着替えさせてとやることは沢山あったけれども、包帯を巻いた時点で僕は医務室から追い出された。まず実習の報告をするべき、と。
 僕は保健委員長として処置を放り出す訳にはいかないと抵抗したけれども、この三人にかなう訳がない。しかも三人の言うことは、生徒として正しい。仕方なく僕は医務室を離れて、ようやく戻ってきたところだった。
 ちゃんと夜着に着替えさせられて、留三郎は布団に横たわっていた。元結が解かれて表情はいくらか安らいでいるものの、灯明の元で見れば、顔色は真っ青だ。
「なんで気づけなかったのかな」
 傷はそれほど深くはなく、毒が仕込まれた様子もなかったけれども。出血が多かった。今も起きあがれずにいるのは貧血のせいだ。
「装束に破れがなかったし、二人とも血まみれだっただろう」
 独り言っぽく呟けば、傍らの文次郎がこちらを見た。
「お前は大丈夫なのか」
「ああ、あれはね。合戦場で、鉄砲に打たれた人がいて、弾をほじくりだしたら返り血浴びちゃって。留三郎はその人を押さえててくれてたから、二人とも」
 そうやって制服のあちこちに血がついてたから、鼻が血の匂いに慣れてしまっていた。
「またかよ。まったく、しょうがねえな」
 軽く舌打ちして、文次郎の視線が留三郎に戻る。
 だから、気づけなかった。留三郎が新たな血を流していたのに。血を流しながら、帰り道、走ったり歩いたりしていたのに。
 留三郎が怪我してると言い出さなかったのも、きっと僕が包帯を切らしたことを知っていたから。手ぬぐいも使い果たして、後は覆面を取るか袖を破くかしかなかったから、言い出せなかったんだ。
 僕が余所の人を助けたりしてるから。そのせいで、最も身近な大事な仲間を苦しい目にあわせた。
 僕のせいだ。
 僕のせいで、留三郎は。
「ぐっ……」
 目頭が熱くなって、涙がこぼれそうになった。でも、泣くのは後だ。留三郎にごめんなさいを言ってから。そう思って堪えると、喉から変な音がした。音を不審に思ったか、こちらを向いた文次郎が、ぎょっとした表情を浮かべる。
「な、泣くなよ!」
 強く目を閉じて、じわじわこみ上げてくる熱を堪えていると、頭ががんがんしてきた。それでも僕は強く目をつぶり続ける。
「泣いて、ない」
 それなのに、声はどう聞いても涙声だった。首をふると、目の端から滴がこぼれ落ちた。
「泣くなっつってんだろ!」
 僕だって泣きたくなんかない。ぐっと奥歯を噛みしめた。大丈夫、泣いたりしない……
「ったく、しょうがねえな……」
 その時、強く肩を掴まれた。そのまま引き寄せられる。
「文次郎……?」
「もう、泣くな」
 どうしてこんなことをするのか、顔を伺おうとしたら、更に強い力で引き寄せられた。ぴったりくっつくというよりは、僕は文次郎に押しつけられている。
 あったかい。
 肩を抱いた文次郎の手も、押しつけられた体も、温かかった。その柔らかな温かさが、触れたところからじんわりと沁みた。
 人肌をこんなに温かく感じるなんて、僕の体は夜の冷気に凍えて、冷えて強ばっていたらしい。
 じんわり沁みる温かさに、目頭から頭の後ろまで広がって頭痛をもたらした熱が、解けていく。目をきつくつぶることも奥歯を噛みしめることも、いつの間にかやめていた。
 隣に寄り添う文次郎の、触れるところすべてが温かくて、肩を抱いてくれてる腕のなんと頼もしいことだろう。もう少しこのまま、寄りかかっていていいだろうか。もう少ししたら、呼吸も完全に落ち着いて、いつもの声が出せるようになるから。もう少しだけ。
 気持ちが伝わったのか、文次郎は黙って僕を支えていてくれた、が。
 それなのに突然、その手がぱっと離れた。
 態勢を崩しかけた僕は座り直し、何事かと一尺は距離を置いた文次郎を見れば、ばたばたと足音が聞こえてくる。
「ここ開けてー」
「あ、うん」
 小平太の声だ。何だろうと立って障子を開ければ、大きな桶を抱えた小平太が立っていた。
「あ、いさっくん、戻ってきてた」
 目が合うとにかっと笑った小平太は、そのままずんずん医務室に入ってきて、文次郎を押し退けるようにして枕元に桶を下ろす。
「これ、どうしたの?」
「長次がさ、いさっくんが要るだろうって言うから、風呂の湯、汲んできた!」
 確かにその桶からは、あったかそうな湯気が立ち上っていた。赤ちゃんを行水させられそうな大きな桶の傍で、どうだ!とばかりに小平太が胸を張る。
「……そっか、ありがとう」
 医務室に常備してある、治療のための水は使い果たしたところだった。僕は大きな桶に手ぬぐいを浸すと、緩く絞った。 
 その手ぬぐいで、留三郎の手や腕を拭っていく。傷口を押さえたのだろう、反対側の手は血塗れだった。
 井戸水でも良かったけれど、お風呂のお湯というのが良かった。こするまでもなく、乾いてこびりついた血が落ちていく。
 本当は全身拭いてあげたかったけれど、流石にそこまでしたら目を覚ますかもしれない。なるべくそっとしておいた方がいいと思って、顔と手を拭うだけにとどめておいた。
「ありがとね、小平太」
 最後に手ぬぐいを濯いで、堅く絞って桶の縁に干すと、いきなり小平太の両手が伸びてきた。その手に顔を挟まれて、そのままぐいっと、小平太の方へ向かされる。
「な、なに?」
「大丈夫!」
 そのまん丸な目をがっしり見開いて、僕の顔にかかるほど荒い鼻息で、小平太は断言した。
「留三郎は大丈夫!叩いても壊れない奴だから、だから大丈夫!」
「た、叩いたこと、あるんだ?」
「ない!でも分かる!」
 叩くっていうのが具体的にどういうことか自分でもよく分からなかったけれど、ともかく小平太に叩かれたら、ただではすまないだろう。ないと聞いて、無性にほっとした。
「あれで留三郎は、案外打たれ強いから。これぐらいの怪我どうってことないよ、大丈夫!……だからそんな表情、しないで」
「小平太……」
 どんな表情をしていたというんだろう。僕はただ、保健委員として出来ることをやってただけのつもりだったんだけれど。
 でも僕を見つめる小平太の顔は真剣で、僕はこの朋輩に、とても心配をかけたというのはよく分かった。
「……うん、わかった」
 大丈夫って、何回も強く断言してくれた。小平太がそう言ってくれるなら、根拠も何もなくても信じられるような気がした。
「確かに留三郎は打たれ強いよね。それは僕が一番よく知ってる」
 小平太の両手に顔を挟まれたまま、僕はなんとか笑顔を浮かべた。すると、真剣だった小平太の顔がほぐれて、僕の顔から手がはずれた。
「傷もそんなに深くないし。倒れながら僕の手を掴んだりしてたんだから、腱とか筋に損傷はなさそうだし。なら大丈夫。このままゆっくり寝させて、体力の回復を待てば……」
 それでいい。それは分かってる。保健委員として、こういう傷を負った先輩方や朋輩を何度となく見てきた。今回の留三郎の怪我なんて軽い方だ。心配することない。貧血だって、留三郎ほどの体力があれば、何日か休んだだけで元通り動けるようになる。
 それは分かってる、よく理解しているのだけれども。
 それでもまだ、黒い雲のようなものが胸元にわだかまっている。
 どうして。……ああ、そうか。この怪我は、僕のせいだから。
 いいや、正直言えばいつどんな状況で留三郎が怪我をしたのか分からない。でも、僕がもっと早くこの傷に気づいてあげていたら。留三郎は倒れるほど血を流さなくてすんだのに。
 長い付き合いの親友は、青ざめた顔色で横たわったまま、ぴくりとも動かない。
 このまま目が覚めなかったらどうしよう。
 そう思うと、ずしりと胸が重かった。大丈夫だって分かってるけど、だけど。
 もし、留三郎に何かあったら、僕は。
 その時、からりと障子が開いた。物思いに耽っていた僕には、足音が聞こえなかったらしい。文次郎も小平太も当然のように障子を見上げる中、入って来たのは仙蔵と長次だった。
「どうした伊作、酷い顔だな」
「え、そんなことは……」
 さっき笑って見せたように僕はまた笑おうとしたけれども、どうしてかさっきみたいには上手くいかなかった。顔が強張ってしまうのが自分でも分かる。
「おおかたしょうもないことで悩んでいたのだろう。留三郎の怪我は自分のせい、とか、怪我に気づかなかったのは保健委員である自分の責任、とかな」
 優雅な足裁きで胡座をかいて座る。小平太がちょっと場所を退いた。
「阿呆が。悪いのは全てこいつ、怪我の責任は全て留三郎が負うべきだ。伊作が苦にすることではない」
「でも……!」
 少なくとも僕が怪我に気づいて手当していればこんなに血を流さなくても済んだ筈、気がつけなかったのは他人の手当に気を取られていたせいで、と言いかけた僕を、仙蔵は手のひらで制した。
「まあ待て。伊作、お前が怪我人を前に手当せずにはいられないことは、留三郎もよく知っている筈だ、違うか?」
「違わ、ない」
「そうだろう。それでいて合戦場などという、怪我人の一大生産地へ行こうというのだ、留三郎に何の覚悟も無かった訳がない。いや、そういった予見もなしに合戦場へ赴こうというのであれば、留三郎こそ余程の阿呆だな」
 なんだか、留三郎のために反論した方がいいような気もしたけれど、何を言っていいか分からず、僕は口を閉ざした。
「どんな事情で怪我を負ったのかは知らんが、これは留三郎の失敗だ。怪我などないに越したことはない。というより、任務に支障をきたしかねない怪我など、してはならない」
「それを言うなら」
「ん?」
 ようやく糸口を掴んで反論した僕の顔を、仙蔵は面白そうに見た。
「それを言うなら、僕が怪我人の手当をすることこそ、任務に支障が出かねない。そっちの方が罪悪だよ」
「まあな。お前はその性格をどうにかすべきだと私は思う。だが、それとこれとは違うだろう」
 何とか言葉を連ねた僕に、仙蔵はばっさりと言い切った。
「今は留三郎の話をしているのだ。お前の話はしてない」
「……う」
 ばっさり言い切られて言葉を失った僕に、仙蔵はとうとうと語り続ける。
「怪我をしたのが留三郎のせいなら、それを隠したのもまた奴の責任だ。とっとと話して手当を受けていれば今頃ぶっ倒れずに済んだものを。余計な気を回したか、怪我を見くびったか。どうにせよ、全てこいつに責任がある」
 仙蔵の言ってることは正しい。怪我を見くびることは良くないし、僕に心配かけまいとしたのかもしれないけど、そんな気遣いは余計だ。仙蔵の視線につられて、僕も留三郎の顔を見た。
「すべて留三郎の自業自得だ。よってお前のせいではない。お前が苦にする必要はどこにもない。……この阿呆が、自分でしでかしたことの責任を取って寝っ転がっているだけだ。気にするな」
「でも……」
 僕に何の責任もないなんてことがあるだろうか。悩む僕の前に、お茶碗が突き出された。
「へ?」
 ほかほか湯気を上げていい匂いのするお茶碗。それを突き出した腕を辿れば、その先には長次の顔があった。
「……冷や飯しかなかったから、おじやにした」
 ぼそぼそ呟く声を聞き取ってお茶碗に視線を戻せば、ほんのり茶色く染まったご飯からお味噌汁のいい匂いがした。細切れな野菜も入ってる。
 お茶碗を受け取れば、横から仙蔵がお箸を渡してくれた。いただきます、と声をかけて、一口すすれば。
「美味しい……!」
 ただのおじやなのに。いつも食べてるご飯とお味噌汁なのに。それはこの上なく美味しく感じられて、そういえばお昼に握り飯を食べてからずっと、水以外何も口にしてなかったことに気がついた。
 そりゃ留三郎も倒れるかもしれない。
「……おかわり、もらってもいい?」
 僕はあっという間に一椀あけて空のお茶碗を差し出せば、長次はおじやをよそって寄越してくれた。割烹着を着た長次の横には、湯気の立つ土鍋を乗せたお盆が置いてあった。
「いさっくんいつもは、早食いは消化に悪いからゆっくり噛んで食べろ、って言うのにねー」
「まったくだ。お前が今食ってるものの功徳を念じつつ、感謝を持って食うのが筋だぞ」
 今まで口を挟まなかった小平太と文次郎が、片方は笑いながら、もう片方は渋面で、こっちを見ていた。
「そうだな。空腹は分かったから、もう少し品良く食べろ」
 仙蔵が僕に手を伸ばすから、何かと思えば頬にご飯粒が付いていたらしい。
「下品で悪うございました」
 憎まれ口を叩くと、仙蔵は苦笑いしながら、指先につけたご飯粒を僕の口に放り込んでくれた。
 結局、三回ほどお代わりして、ようやく僕は人心地がついた。
「あー美味しかった、ごちそうさま!……ありがとう、長次」
「……いや」
「みんなも、ありがとう」
 持つべきものは友達だ、なんて。言葉にすれば陳腐だけれども、それを今、しみじみと噛みしめていた。
 文次郎も、小平太も、仙蔵も、長次も。みんなそれぞれのやり方で僕を助けてくれた。困った時に助けてくれる、かけがえのない仲間たち。
 次は僕の番だ。みんなが大変な時は、僕が必ず助けるから。
 そう思ってみんなを見渡せば、長次はいつもの無表情で、仙蔵はやや口元に笑みを浮かべて、小平太はにっこり笑顔になって。文次郎はやや照れたように僕から視線をそらした。
「後はこいつが目を覚ますだけ、だな」
 文次郎の呟きに、留三郎の布団を見た。相変わらず顔色の悪いまま、静かに横たわっている。
「……心配いらない」
 おもむろに長次の手が頭に乗せられた。そのまま、いいこいいこするように、撫でられる。
「そうだぞ伊作。全くもって、何も案ずる必要はないのだからな」
 仙蔵が軽く笑いながらそんなことを言う。すると何故か文次郎が、ぎょっとした顔で留三郎を振り返った。
「んーでもさ、気になるから、留三郎が起きるまで、みんなでここにいない?」
 にこにこ笑顔のまま小平太が提案する、と。
「……鍛錬の続きだ、付き合え、小平太」
「えーっ、まだやるの?いいけどさあ」
 どうしたっていうんだろう、文次郎が小平太の首根っこを掴むと、引きずるようにして出ていった。小平太は引きずられながら、僕に軽く手を振って医務室から出ていく。
「……留三郎の分もある」
 長次の示す先には、もう一組、お茶碗とお箸があった。土鍋の中にはまだ半分ほど、おじやが残っている。実は留三郎の分を考えて、お代わりは三回でやめたのだった。僕は頷くと、もう一回お礼を言った。
「さて、私ももう寝るとするか」
「あ、わざわざごめんね」
 こんな時間に何をしていたのだろうか、仙蔵は夜着ではなく制服姿だった。叩き起こして着替えさえたのなら申し訳ない。
「いや、新型の火矢について考えていたのだがな。ちょうど煮詰まっていたところだった。キリもいいので、そろそろ休む」
「そっか。……おやすみ」
 医務室から去っていく二人を、僕は戸口のところまで見送った。
 さあ、今日はこのまま医務室に泊まり込むかと思いながら、枕元に戻ってみれば。
 今まで死んだようにぴくりとも動いてなかった留三郎が、向こう側を向いて寝ていた。目が覚めたんだろうか、それとも寝返りを打っただけ?
「留三郎?」
 声をかけつつそっと顔をのぞき込めば。
 その切れ長な目の睫が、ぴくりと震えた。そのわざとらしさに、ピンとくる。
「まさか今まで狸寝入りしてたとか言うんじゃないだろうね……?」
 自分でも意外な程、低くて怖そうな声が出た。見つめる先で顔がこわばったかと思うと、その唇から、ごめん、と声が出た。
「本当に狸寝入りしてたの?」
「……悪かった」
 言い終わったら、切れ長の目がぱっちり見開かれて。
 僕はそれを見た瞬間、ぷちん、と自分の中で何かが切れるのを感じた。
「もう、留三郎の馬鹿っ!なんで狸寝入りなんかするんだっ。気が付いてるのなら、気が付いたって言えばいいだろう!」
「いや、わりい。最初はマジで体が動かなかったんだよ、気が付いてたんだけど、こう、金縛りにあったみたいでさ。で、さっきようやく寝返りを打てたところで、ほんとに体が動かなかったんだって!」
 いきなり怒鳴りつけた僕に、寝たまま身を縮こまらせて、それでも反論する留三郎。顔色は良くないのに、元気そうじゃないか。
 言い終えた留三郎が起きあがろうとするから、手を添えて手伝ってあげた。あんまり急激に身を起こすと脳貧血を起こすかもしれないから、そうっと。
「でもさ。目ぐらい開けてくれるとかさ」
「いやだからマジで、指一本動かなかったんだって、最初は。動けるんだったらあんな、文次郎とかに……」
 今まで死んだみたいだったのに。いきなり普通に会話したりしてて。
「留三郎の、馬鹿っ!」
「のわっ!」
 怪我人相手に思いっきり怒鳴るだなんて。そうは思ったけれど、歯止めがきかなかった。理性とか保健委員長という箍は全部吹っ飛んで、押さえる物は何もなかった。
「もう、心配したのに!このまま目が覚めなかったらどうしようって、そんなことある訳ないって思ってたけど、でも心配で、どうしようもなくて……!」
「……悪かった」
 喚き散らす僕の前で、留三郎は神妙に頭を下げた。
「怪我したことも、それを隠してたことも、全部含めて悪かった。仙蔵の言う通りだ。全部俺の責任で、俺が悪いんだ。それなのに更に心配かけちまって……悪かった。ごめん、な」
 しおらしい留三郎の様子に、僕の気持ちも収まってくる。
 そうだ、僕が留三郎に言いたいのは、こんなことじゃなかった。
「僕の方こそ……怪我してたのに、気づかなくて、ごめん」
「お前が謝ることじゃねえよ。俺が隠してたんだから」
「でも……」
「学園くらいまでならもつと思ったんだけどな。やっぱ最後の最後で気が抜けちまって」
 俺も修行が足りねえな、と笑う顔がいつもの留三郎で、僕は気が付いたら、その首っ玉にかじり付いていた。
「……伊作?」
「無事で、良かった……」
 怪我してるんだから、無事とは言わないかもしれない。でも、留三郎がちゃんと生きてて、怪我も大したことなくて、いつも通りで、良かった。本当に良かった。
「ったりめーだろ」
 怪我をしてない方の腕が、僕の背中に回された。反対側の手が、僕の後頭部ら辺をちょこちょこと撫ぜる。
「俺はお前の不運に付き合って、強くなったんだからな。これぐらいの怪我で、めげてたまるか。っていうか」
 一年生の時から、僕が何かあって留三郎に泣きつくと、いつもこうやって慰めてくれた。そう思ったら、こみ上げるものを止められなかった。
 俺は、お前が無事ならそれでいいんだ。留三郎は何かそんなことを言ってたかもしれない。でも僕は安心のあまりわんわん泣いて、留三郎の夜着の胸元をぐっしょり濡らすほど泣いてしまっていて、それどころではなかった。
 まだ新月の光の薄い、静かな夜のことだった。

 >リクエスト下さった方へ   
Copyright(C)2009 卯月朔 All rights reserved.
a template by flower&clover