有意義な休日

 洗面を済ませて戻ってくると、案の定、伊作はまだぐっすり寝ていた。
 衝立越しに顔を見下ろして、さてどうするかと思案する。今日は休みだから、このまま寝坊させても一向に問題はない。しかし何日か前から、伊作に『次の休日は一緒に団子を食べに行こう』と誘われていた。今朝は日が昇った頃から薄曇で、午後には一雨きそうな気配だ。団子を食べに行くんなら、午前中に行っておいた方が良い。なら、起こすか。
 しかし、この頃こいつは忙しそうだった。昨日の帰ってきたのは夜が更けて大分たってからだった。下級生の間で自主練が流行ってるとかで、怪我人が多くて大変らしい。
 委員会で苦労する辛さというか大変さはよく分かる。せっかくの休みぐらい、寝かしておいてやるか。しかし団子食いに行きたいって言ってたのはこいつだしな。
 逡巡しながら衝立をまわって、枕元に腰を下ろす。見下ろした先では、色の薄い髪を枕に散らばせて、すーこすーこと幸せそうな寝息を立てている。
 ……こいつも一応、忍たまのはしくれの筈なんだがな。
 枕元に人が居たら、気配だけで目を覚ませよ。全く、同室の俺だからいいものの、曲者だったらどうするんだ。
 それとも、気配で俺だと判断したから、安心して寝てられる、とか?
「伊作のくせに生意気な」
 それはありえないだろう、と伊作の鼻を摘む。
「…………ぐはっ!……何すんだよ留三郎!」
 俺の手を振り払うと、伊作は勢いよく起き上がった。その顔に、おはようと声をかける。
「おはよう。……っていうか、今日休みだろう?寝かせといてくれよ。昨夜も遅かったんだし」
 心底うっとおしそうに喚きながら、もぞもぞと掛け布団にもぐりこもうとする。
 なんだよ、団子食いに行く約束、覚えてたのは俺だけか。別にそれほど団子が食いたい訳じゃないが、ちょっとがっかりだな。
「そうか。いや、俺は別にいいんだけどな、団子食いそびれても。昼からは雨らしいが」
 それを聞いて、布団にもぐりこもうとしていた夜着の塊がぴたりと止まる。
「……起きる」
 そうしてもそもそと起き出してくると、長い髪を掻きあげて溜息をついた。
「ごめん、留三郎。うっかりしてた。起こしてくれてありがとう」
 こういう素直なところがこいつのいいところだ。しかし。
「どういたしまして。……ていうか、大丈夫か?隈できてるぞ」
 しょぼしょぼさせた目の下には、文次郎張りの隈がばっちり浮き上がっている。
「団子はいいから、今日はもう寝てたらどうだ?」
 しかし俺の提案にはきっぱり首を振ると、伊作は勢いをつけて立ち上がった。
「ううん。今日は留三郎とお団子食べに行くんだ!そう決めたから!」
 格好つけて拳を固めた割には、いまいち緊張感のない台詞だなあ。
 ともあれ伊作も厠や洗面を済ませて身支度を整えると、二人で食堂に向かった。
 あらお休みなのに早いわねえ、とにこやかなおばちゃんに挨拶して、朝定食を受け取って席に着く。
「ところで、団子食いにどこまで行くつもりなんだ?」
 一口飯をかき込んでから、聞いてみる。
「ええっとね」
 同じく味噌汁をすすりながら伊作が答える。
「街に美味しいお団子屋さんがあるって乱太郎が言ってたから、街まで」
「ふうん、なら、尚更早めに出た方がいいぞ。ありゃあ、昼とは言わず、一刻も経てば降りだすかもな」
 もちろん忍者たるもの、悪天候の際でも動けるように訓練は受けてある。しかし、休みの日に暢気に団子を食いに行こうというのに、雨に降られるのは出来れば避けたい。
「そうだね。空、どんよりしてたね」
「今日じゃなきゃ駄目なのか?」
「駄目ってことはないけどさ」
 小鉢の納豆を勢いよくかき混ぜてから、茶碗の上に垂らす。
「休みの日ってぐずぐずしてるとさ、いつの間にか委員会の仕事しちゃうんだよね」
「ほう」
 納豆とご飯を程よくかき混ぜてから、あんぐりと口を開けて納豆ご飯を放り込む。
「その辺を軽く片付けるだけのつもりが、薬箪笥の整理を始めて収集がつかなくなったり、薬草園の水遣りのつもりが草むしりとかしてて気がついたら一日畑仕事、とか。忘れ物取りに医務室に行った筈が何故か医務室の掃除してたり、そんなんでさ。その間にも急な怪我人があれば、大抵僕のところに呼びに来るし、いつの間にか委員会の仕事をしてるんだよ」
 急な怪我人はともかく、先の三つは自分のせいでは、と思いつつ、確かに伊作の休日の過ごし方っていうのはそんな感じだよなあと、頷くしかない。
「もちろん、保健委員の仕事は嫌いじゃないし、性に合ってると思うよ。好きだからついやっちゃうんだしね。仕事するのが嫌だっていうんじゃないんだ。ないんだけど」
「けど?」
「何ていうのかなあ、普段真面目に仕事してるんだから、休みの日くらいちゃんと休みたい。僕だってお休みの日を楽しみたい!」
 ……言ってることには賛同できなくもないが、納豆をつけた箸を振り回すなよ。
「そんで出かけようってことか」
「うん」
 まあ確かに、前の三つはともかく、急な怪我人から逃れるには不在にするしかないな。
 怪我をした場合、新野先生のところへ行けばいいんだが、休みの日には先生も休みな訳だから、よっぽどの大怪我でもない限りは憚られる。その点、生徒である伊作の方が、最上級生とはいえ頼りやすい。そんな訳で、休日の怪我人は伊作か最寄の保健委員のところに担ぎこまれる。
 無論、伊作も手当てを拒んだりはしないが、休みが潰されるのも確かだ。
 たまには団子食いに行って不在にするのも仕方あるまい。俺は味噌汁を飲み干した。
「じゃあとっとと出かけちまおうぜ。まだ大丈夫だとは思うが、行きに降られるのはごめんだ」
「そうだね。ずぶぬれになってまで、お団子食べたいとは思わないね」
 しゃべりながらも箸は忙しなく動く。その気になれば、食うのも身支度も早い。この学園に六年も居れば、自然と身につくことだった。
「ごちそうさまでした」
 手を合わせて挨拶して、さてと立ち上がりかけたところ。
「伊作、待……」
「うわあっ!」
 福富しんべヱだった。後ろから来ていたしんべヱの盆が、丁度、立ち上がりかけた伊作の肩に当たり。
 盆が揺れ、その端に置かれていた椀は何故か伊作の方へ転がり。
「あつっ!」
「わわわ、先輩、大丈夫ですかぁ!?」
 ……伊作は、頭からわかめと豆腐の味噌汁を被ってしまったのだった。

「待たせたね、留三郎」
 私服に着替え、さっぱりとした伊作が部屋に戻ってきた。
「制服はどうした?」
「洗ってお風呂場に干しておいた。雨が降るといけないからね」
 濡れていつもより嵩の減った伊作の髷からは、ほのかに出汁の匂いがした。
 食堂で見事に味噌汁を頭からかぶった伊作だったが、悲劇はそれだけではすまなかった。ごめんなさい大丈夫ですか!?と気遣いながら突進してきたしんべヱの盆が頭にぶつかり、納豆までもが頭上に広がっていた。ずぼらなことに頭巾をしていなかったのが、悲惨に拍車をかけた。
 お前わかめを食べたくないからって人にぶちまけるなよ、と同級生に突っ込まれたしんべヱが、そんなことないもん、わかめのために納豆までぶちまけたりしないよっと涙目で叫ぶのに、いいよとにかく床をなんとかしようと、その場にいた乱太郎やきり丸にも手伝わせて床やら机やらを拭いて。納豆臭い伊作を風呂場に放り込んで。
 かなりの時間を無駄にしたし、今日はもう外出は無理かと、俺は諦めかけた。
 しかし部屋に戻ってきた伊作は、手早く財布を取り出して荷物を纏める。
「行くのか?」
「もちろん!」
 短く問えば、威勢のいい返事が返ってきた。
「……お前ってめげないよな」
 頭から味噌汁のみならず納豆まで被って、出鼻を挫かれたのに。朝から髪洗って制服洗濯して疲れただろうに。
 そんな不運にも負けずに支度している伊作に、俺は少し感動した。
「まあ、こういう不運には慣れてるし」
 伊作は纏めた荷物を背中に括りつけると、こちらを振り返った。
「それにさ。僕がめげずに居られるのは、留三郎のおかげなんだよ」
「へ、俺?」
 我ながら間抜けた声を上げる俺に、伊作ははにかみながら微笑んだ。
「留三郎がいつも見守ってくれるから。……呆れたりしても、決して見捨てないで待っててくれるから。だから、僕もめげたりしないで頑張ろうって思えるんだ」
 えへへ、と照れたように伊作が笑う。その頬の赤みを見てると、俺にまでその照れが移ってきちまった。
「見捨てないって……そんなの当たり前だろ。同室なんだし」
「うん、そうだよね」
 なんだか無性に照れるから、そっぽ向いてぶっきらぼうに言ったのに、伊作は事も無げに頷いた。
「留三郎は優しくて責任感があるから。同室の僕を放っておけないんだよね」
「伊作……?」
 頷きながら話すこいつの声にどこか寂しげな響きを感じて、俺は再びその顔に目を向けた。
「だからさ、今日も付き合ってくれるよね?」
 しかし、それは俺の勘違いだと思わせるような満面の笑みで、伊作は俺に微笑みかけた。
 じゃあさっきのあれは何だったのか。やっぱり俺の気のせいなのか。
 少しの間返事をしないでいると、不安になったのか顔を曇らせて「留三郎?」と顔を覗きこんでくる。俺は出汁の匂いのする頭を、上からぽんぽんと押さえつけた。
「しょうがねえだろ。約束したんだし」
 答えれば、俺の手の下で、ぱっと顔が輝いた。
「良かった!よぉし、今日こそはお団子食べに行くぞー!」
 威勢良く腕を振り上げ、意気揚々と戸口へ向かう伊作の後に続きながら、ふと思った
 俺たちは何かを誤魔化したんだろうか。二人の間にある、微妙なすれ違いを。
「……あ、雨?」
 伊作が障子を開け、外廊下に出たところで。丁度ぽつんと一滴落ちてきたそれは、丸く地面に染みを描いた。もう一つ、その横に結構大きな染み。水滴がもう一つ。また一つ。あれよという間に、地面は染みだらけになり、ざあざあ音を立てて雨が降り始めた。
「………………」
 横に並んで立つこいつの顔をちらりと窺えば、目も口も大きく開けて、そのまま表情が固まっちまっていた。まあ、無理も無い。
 流石のめげない伊作の決意も、ここでぽっきり折れちまったようだ。
「え、ええと」
 どうにかこうにか声を絞り出したものの、上ずってるのはご愛嬌だな。
 今、こいつの中では必死になって折れた心を建て直そうとしてるんだろう。今さっき『留三郎のおかげ』とか言っちまったから。俺が傍にいる限り、めげてはいけないと思いこんでるのかもしれない。
 ……そんな無駄に頑張ること、ないのに。
「降っちまったもんはしょうがねえな。出てからじゃなくて良かったぜ」
 どうにせよ見てられなくて、俺は伊作の肩を抱くと、強引に部屋に引き戻した。障子も閉める。
 伊作は俺が手を離すと、がっくりとその場に膝をついた。
「……きょ」
「きょ?」
 項垂れる出汁の匂いがする髷に顔を寄せれば、納豆臭い匂いもした。
「今日こそは留三郎とお団子を食べて、有意義な休日を過ごすつもりだったのに……!」
 ……何と言うか。
 その台詞のどこら辺を、伊作が重要視しているのか知らねえけど。
「ほら」
 俺は荷物を置くと自分の文机から、一冊の本を取り上げた。伊作の前に差し出す。
「何これ。鎌倉大草紙……?」
「そっちが巻の一だ。巻の二は俺がまだ読んでる途中だから、あんまり早く読み終わるんじゃねえぞ」
 本を押し付けると、俺は伊作に背を向けるようにして障子の傍に腰を下ろした。雨のせいで部屋の中が暗くて、本を読むならここしか明るくなかったからだ。
「留三郎……」
 伊作はしばらく本の表紙と俺とを見比べていたが、ようやく荷物を下ろすと、障子の傍に来た。俺と背中合わせになるように腰を下ろす。
「医術関係以外の本を読むのって、そうえいえば久しぶりだなあ」
「そうか」
「この本、面白い?」
「読んでみりゃわかるだろ」
「それもそうか」
 ぱらりと表紙がめくられる音。しばらくの沈黙の後、ありがと、の声が聞こえた。
 どういたしまして、といいながら、伊作の背中にもたれかかる。
「こら、重いぞ留三郎!」
「いいじゃねえか。壁代わりになれよ」
「言うに事欠いて壁か。せめて背もたれくらいにしとこうよ」
「背もたれなら良くて壁なら駄目な理由が分からん……」
 などとぐちゃぐちゃ言い合っていたが、そのうちお互いがもたれかかって丁度いい塩梅が見つかったので、静かになる。
 しばらくは雨の音と、お互いの紙をめくる音だけがしていた。
 なあ伊作。
 団子はないけど、本を読んでる限り委員会の仕事をしちまう危険はないし。お前の言う有意義には程遠いかもしれねえけど、たまにはこういうのも、悪くねえだろ。
 俺ならいくらでも、付き合ってやるから。
「伊作……?」
 不意に背中が温かく、重くなったと思ったら。耳の傍ではすーこすーこと気持ちの良い寝息が聞こえてきた。
「ったく」
 せっかく貸してやったのに。伊作の膝の上で、草紙はぺたんと閉じられているようだった。
 こんなことなら、朝寝坊させてやれば良かったと思ったが、後の祭りだ。しょうがない。一方的に体重を預けてくる重みに、いい塩梅で寄りかかる。
 聞こえるのは雨の音と、規則正しい寝息。
 まあこれも俺にとっちゃ有意義な休日かと思いつつ、俺は次の頁をめくった。
 

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