5000Hit記念リク第七弾

その手に宿る強さを


「あ、先輩、それお持ちしますよ」
「悪いね。じゃあ、頼むよ」
「はい」
 店で包んでもらった風呂敷包みを渡すと、雷蔵はにっこりと微笑みながら受け取ってくれた。雷蔵は本当に、気働きの出来る優しい子だ。
 さて、と僕が往来で懐から書き付けを取り出して広げると。
「まだ回るところがあるんですか?」
 うんざりした声が上がった。振り向けば鉢屋が、雷蔵はあんまりしなさそうな、うんざりそのものという表情でこちらを見ている。
「うん、でもまあ、上手くすれば次で最後だし」
「上手く行かなかったら?」
「もう一軒、だね」
 はあ、と嘆息とも喘ぎともつかない息が鉢屋から漏れて、隣の兵助が「こら」とたしなめる。
「俺たちが勝手言ってついて来てるんだから、文句言うな」
「そうそう。嫌になったんなら、先帰っててもいいんだぜ?」
 兵助と竹谷が口々に言うと、鉢屋は「はいはい」と背中の風呂敷包みを背負いなおした。
「で、次はどちらへお供すればいいんです?」
「この先ずっと行ったところを、ちょっと曲がった先なんだけど……」
 僕が歩き出せば、後輩四人がぞろぞろとついてきた。色とりどりの風呂敷包みを背負ったり、抱えたり。
 思ったより結構な荷物の量になったから、付いてきてもらったのは正解なんだろうけれど。男五人で荷物抱えて町中をふらふらするのは、珍しいというか何か目立ってるような。
 なんでこんなことになったんだっけ。
 思い起こせば昨日の夜。これまで裏山とかで採ってきた薬の材料が貯まってきたから、分けたり砕いたり、売りに出せるように細工してたんだっけ。その作業が一段落して、閉まる間際の食堂に駆け込んで遅い夕食をとっていると、補習が終わったところだという五年生達が来たんだ。で、鉢屋達と、お疲れさま、お互い遅くまで大変だよね、でも明日休日だし、お天気良ければ町まで出て、作った薬を売りつつ買い出ししようかと思ってる、なんて話をしてたんだ。そしたら何故か、みんなで行こうってことになっちゃって。
 なんでそんな流れになったんだか、その辺はよく覚えてない。でも今日の朝、約束してた刻限に正門前に行くと、みんなばっちり外出許可証を用意して待ちかまえてた。
 それでみんなで町へ繰り出したんだけれど。
 薬の売り買いというのは、僕にとって大事な勉強の場だったりする。ただ持っていった物を渡して、欲しい物を出してもらうだけじゃなくて、この薬を何に使うのかとか、どんな評判だとか、他に使えるものはとか、色々な話をするのだ。薬屋の店主は当たり前だけど僕より年上の人たちばかりで、薬についてはそりゃあもう詳しくて、しかも相場や取引先のことも教えてもらえたりする。薬の売り買いをしながら、たくさんの情報を得られるのだ。
 しかし。店先であれやこれや品定めしつつ情報交換するのは徹頭徹尾薬についてで、興味のない人にはちんぷんかんぷんの、さっぱり訳の分からない話だと思う。さっきから何軒か回ったけれど、僕と店主の話があまりにも専門的すぎて口を挟めず、手持ちぶさたに沈黙してるのは結構辛かったんじゃないだろうか。鉢屋がぼやくのも無理はない。
 それだというのに、嫌な顔一つ見せず、荷物を持ってついてきてくれるんだから。みんないい子達だなあ。後でうどんでもご馳走しないと。
「次の店では、売るんですか、買うんですか?」
 持ってきた荷物を抱えている兵助が聞いた。売ってしまえばその荷物がなくなるから、少し負担は減る、けれども。
「両方のつもりなんだけど……買い叩かれそうな気もするんだよね。でも欲しい薬があって、多分あそこじゃないと置いてないし……」
 これを売らずに済ませてお金が足りるだろうか。頭の中で算盤をはじいていると、横から兵助のいぶかしげな視線を感じた。
「ええとね。これから行くお店は、ずっと前に新野先生に紹介してもらった馴染みのお店なんだけど、最近代替わりしたところでね。でもそこの若旦那が、前のご主人とは違って、がめつい性格でさ。こっちの足下を見てるっていうか、子供だからって嘗められてる感じなんだよね」
 まあ実際、僕は一人前とは言いがたい子供なんだけれど。でもちゃんと新野先生の紹介で、薬屋へ来てる訳だし、他の店では僕が持ち込む薬の出来や材料の品質の良さから、そこそこ認めてもらって、一人前のやりとりをさせてもらっている。
「売る物は買い叩かれるし、買う物は値をつり上げられるし……。まあこっちもそれに合わせた商売をしてもいいんだけどさ。前のご主人も時折顔を出しておられることを考えると、あんまりえげつないことはしたくないしね」
 ため息混じりに言うと、兵助の顔も少し曇った。
「難しそうですね」
 と僕の後ろで雷蔵が呟くと。
「いや、あともう一軒でも二軒でもお付き合いしますよ!」
 その横を歩いている竹谷から、頼もしい声が上がる。
「そういうことなら、インパクト勝負ですよ」
 急に、先を歩いていた鉢屋が振り返った。
「へ?」
「だから。相手の度肝を抜くんです。こすっからい計算をする余裕を与えない。その間に、こっちの要求を通しちまう」
 鉢屋は、横顔だけでにやりと笑って見せた。
「これも一種の驚車の術ですかね。俺が後から援護しますから、先輩、先に始めてて下さい」
「は?」
 気がつけば、もう当の薬屋の前まで来ていた。足を止めた鉢屋たちは、お互いの顔をざっと見渡す。
「雷蔵、手伝ってくれ」
「いいよ」
「じゃあ先輩、行きましょう」
「さっさと始めて、さっさと終わらせちまいましょう!」
 鉢屋と雷蔵が近くの路地に向かい、兵助と竹谷が僕の袖を引っ張った。こういう時、五年生はチームワークがいい。お互いにお互いを信頼しているから、いちいち細かいことを打ち合わせしなくても平気なんだろうけれど。
「ちょっと待って鉢屋、何する気?」
 僕には何がどうなるのか分からない。暖簾をくぐる前に振り向いて問えば、鉢屋は片目をつぶって見せた。
「そりゃもう、決まってるでしょう」

「あー、びっくりした」
「俺、夢に見るかもしれない……」
「俺も……」
 半刻と経たず、僕らは再び往来に居た。出てきた薬屋からなるべく遠ざかりつつ、溜息をつきながら歩いていると。
「何そんな虚脱してんだよ。いつものことだろう?」
 そこへ、鉢屋と雷蔵が合流してきた。あ、変装を解いてる。いつもの鉢屋だ、良かった。
「そりゃ確かにさ、そう珍しいことじゃないけどさ」
「時と場合によりけりだろ。まさかこんなところで、あんな顔にお目にかかろうとは思ってなかったから」
 竹谷と兵助のぼやきのような反論に、僕も大きく頷く。
「本当そうだよ。まさか町中の薬屋さんで、いきなり伝子さんに会おうとはね……!」
 しかもその伝子さん、突然店に乗り込んできたかと思うと、「そんなの高すぎるわよ!」と怒鳴りつけたり、「もっとサービスできないの?ならアタシがサービスしちゃうわよぉ」としなだれかかったり、いろんなことをしてくれた。若旦那は初めて見る伝子さんに驚くやら怖がるやらたじたじで、最後には帰ってくれるならなんでもする、という感じで、こちらの言い値で僕の薬を買い取ってくれただけでなく、相場よりかなり安い値段で欲しい薬を売ってくれたのだった。
「でも、驚車の術としては大成功でしょう?」
 鉢屋が兵助の背負った風呂敷包みを見て言った。確かに、思ってたより倍量の薬を手に入れることが出来たのは、伝子さんのおかげだ。
「うん。凄く助かった。ありがとう」
「じゃあ、ご褒美にうどん奢って下さい!」
 さっきまで伝子さんだった鉢屋は、珍しく晴れやかな顔でにっこり笑った。
「え、うん、いいよもちろん」
 なんだか、その笑顔があんまり眩しくて、一歩引いてしまう。どうしたんだろう、鉢屋。よっぽどお腹空いてたのかな。
「じゃあ、俺の知ってる店でいいですか?この前、しんべえに教えてもらったんですよ、うどんの美味い店」
「いいよ。じゃあ、そこへ行こう」
「よっしゃ決まり!」
 ぱちんと手を叩くと、鉢屋は僕の手を取ってぐいぐい引っ張った。
「こっちですこっち。本当、美味いんですよ!」
「分かった、分かったから、そんなに急がなくても」
 いきなり引っ張られてつんのめりそうになった僕が文句を言うと、鉢屋は照れたように笑った。
「すみません、そうですよね」
 でも案内する気まんまんらしく、手は握ったままだった。そのまま人波を避けて、ゆっくりと歩いて行く。
 何だろう、いつもの鉢屋は、確かにお茶目なところはあるけど、もっと落ち着いて頼りがいのある感じなのに。今日の鉢屋は感情の起伏が激しいような。空腹とか、疲れのせいかな。
 その時、不意に背後から不穏な空気を感じた気がした。振り向くと、荷物を抱えた三人がなんだかこっちを睨んでいるような。
「どうしたの?」
「あっ、いえ、別に!」
 振り向いて問えば、竹谷が慌てたように手を振って答えた。隣では雷蔵が笑顔になって頷く。
「ごめんね、長いこと付き合わせて。お腹空いたよね。みんなの分も奢るからね」
 ちゃんと話をするために一旦手をほどこうとしたけれど、鉢屋が手を放してくれない。だから仕方なく、歩きながら後ろを向いて話す。
「いや、お気遣いなく」
「……っていうか三郎!おまえが気遣え!」
「なんのことー?」
 竹谷が文句をつけても、おかまいなしに鉢屋はのんびりと歩く。
 いくつかうどん屋さんの前は通り過ぎたけれど、鉢屋の目指すうどん屋さんはまだ先らしい。みんなはお腹空いてるみたいだけど、仕方ない、鉢屋の知ってる店にするって言っちゃったし。僕らはそのまま歩き続けた。

 しばらくして、鉢屋おすすめのうどん屋さんにたどり着いた。
 しかし、ちょうど昼飯時だったのが災いしたのか、店は混んでるようだった。外で待っている人こそいないものの、店の中は満席のようだ。
「すみませんねえ」
 入り口の近くでたむろしている僕らを見つけて、奥からおかみさんらしき人が出てきた。
「ちょっと今一杯で……お客さん方は何名様で?」
「五人です」
 鉢屋が手を広げて答える、と。
「じゃあですねえ、あちらのお席ならお二人様、こちらの卓だと三名様お座りになれますから、分かれていただけるなら、すぐに案内できますけど」
 おかみさんは、奥の小さな卓と、壁際の少し大きめの卓を指さした。広い店内でかなり離れてしまうけれども、仕方ないかな。僕は鉢屋の顔を見た。
「じゃあ、そうしましょうか。雷蔵、行こう」
 にっこり笑って鉢屋は僕の手を引いたまま、店内に入ろうとしたのだけれど。
「ちょっと待てい!」
 竹谷がその襟首を引っ張った。さすが体術にも優れた鉢屋、仰け反りながらも転ばず、なんとか体勢を立て直す。
「なんだよもー」
「せっかく伊作先輩がご馳走して下さるっていうのに、分かれたりしたら会計とか面倒になるだろ!」
「ああ、それもそうか」
 僕は別にいいけれど、お店の方に迷惑がかかるかもしれない。
「あの、もう少しお待ちいただければ、五名様でおかけになれる席も空くと思うんですけど……」
 その場の空気を読んだのか、おかみさんが代替案を持ちかける、と。
「じゃあ、少し待たせてもらいます。どうもすみませんでしたー」
 鉢屋に何を言う余裕も与えず、竹谷がずいっと前にでると、おかみさんににっこり笑いかけた。ごめんどうさまで、とおかみさんは忙しいらしく、すぐに店の中に戻っていく。
「ちぇーっ、腹減ってんのに」
 毒づく鉢屋に、竹谷はさっきおかみさんに見せたのとはうって変わった、口の端だけつり上げた笑みを浮かべた。
「お前なあ。いい加減にしろよ、ん?」
 何のことだろう。不思議に思って首を傾げていると、兵助が「あの」と遠慮がちに声をかけてきた。
「どうしたの、兵助」
「その、奢っていただけるということですが……あの、お気遣いなく」
「へ?」
 うどん屋さんの前まで来て、何を言い出したのかと、僕はその顔をまじまじと見た。
「確かに三郎はさっき役に立ちましたので、ご褒美ということかもしれませんが……俺たちは何もしてませんから」
「いやでも、荷物とか持ってもらってるし」
 兵助の持っていた風呂敷包みは、売り払った後買った物を包んで、最初に持ってもらった時の倍くらいの量になっていた。みんなに荷物を持ってもらって、僕はこんなに薬屋を回ったというのに空手で楽させてもらっているのだから、気にすることないのに。
「これぐらい、先輩一人で充分背負える量でしょう?荷物持ちなんて言っても、大したことありませんし」
「大したことないって言ったら、うどん代だってそうだよ。さっきちょっと儲けちゃったところだし」
「でも四人分にもなれば、結構な額じゃありませんか」
 ああ言えばこう言う。兵助は真面目で律儀で礼儀正しいからこそ遠慮してるのだとは思うけど、こう頑なに拒まれるのも困る。
「ともあれ、先輩にご馳走してもらえるほど、大した働きはしてませんから」
 どうしたのだろうか。取り付く島もない、そんな様子で兵助は目を伏せた。
「どうか俺たちのことはお気遣いな……」
 もうこうなったら仕方ない、実力行使。僕はその口に蓋をしてしまった。右手で兵助の口を塞ぐ。
「もう、そういう可愛くないことは言わない!」
 流石に驚いたらしい兵助が慌てて開いた目を白黒させるのを見て、ちょっと胸がすいた。でもこれを外したらまた何を言い出すか分からないから、手は正面から口を押さえたままにしておく。
「後輩ならこういう時は、にっこり笑ってごちそうさまです、って言うもんなの!それでいいんだよ。下手に遠慮した方が失礼に当たるって、分からない兵助じゃないよね?」
 何故か顔を赤くして、固まってしまっているから、何度も瞬きを繰り返すのを肯定の意だと勝手に受け取る。
「こういうのって、順番だと思うんだよ。僕だって何度か先輩に奢ってもらったことあるし。今まで機会がなかっただけなんだから。だからさ」
「……あのー、伊作先輩?」
 じっと兵助の目を見つめながら話していたら、竹谷にちょんちょんと腕をつつかれた。
「この律儀者、息してないみたいなんで……ちょっと一瞬手を外してもらっても、いいですか?」 
「え」
 息してないって。口に手を当てた時から、ずっと息を止めてたってこと!?
 慌てて手を引っ込めると、兵助は僕から顔を逸らして、大きく息を吐き出して、吸い込んだ。そりゃ顔も赤くなる訳だ。
「ごめんね、兵助」
 肩で息をする兵助がなんだか気の毒で、本当に申し訳なかった。試しに手のにおいを嗅いでみたら、やっぱり最後に触った薬の臭いがすっかり染み着いている。僕は慣れてるけど、決していい匂いとは言い難い。
「あ、いいえ!そんな、そういう訳では……」
 慌てて否定するけれども、まさかこの律儀者が、先輩の手が臭かったから息できませんでしたなんて言える訳ないしな。
「本当にごめん、悪かった」
 僕がぺこりと頭を下げると、兵助は慌てて手を振った。
「いえ、俺の方こそすみません。あの、生意気なことばっかり言って……」
 す、と体を折って、綺麗に頭を下げる。
「申し訳ありませんでした」
 兵助のこういうところがいいと思う。五年生はみんな律儀で真面目だけれども、兵助は本当に折り目正しい。
 兵助が姿勢を正すのを待って、僕はその顔をのぞき込んだ。
「ねえ、兵助」
「あ、はい」
「さっきの続きなんだけどさ。……僕もたまには、先輩らしいことがしたいんだ。いいかな?」
「は、はい!」
 まだ顔に赤みの残る兵助が勢いよく頷いてくれたから、僕も笑顔になる。
 そこへぞろぞろと店から大勢の客が出てきて、僕らは入れ違いに中へ入った。

「しんべえのおすすめだけあって、美味しかった!」
「本当だねー」
「先輩、ごちそうさまです」
 斜め前の兵助が頭を下げれば、前の席の竹谷も、両隣の雷蔵と鉢屋もそろって「ごちそうさまです!」と頭を下げる。
「や、やだなあ、もう、うどん一杯くらいのことで」
 そりゃそう言えと言ったのは僕だけれども。こんな四方八方から一斉に言われると、なんだか照れる。
「さて、これからどうします?ご用が済んだなら、まっすぐ帰りますか」
「うーん、そうだなあ」
 竹谷に聞かれて、僕はちょっと首をひねった。
 薬の売り買いは全部済んだ。僕としては予想外の収入があったから、行ってない薬屋さんに回りたいんだけれども。
 特にこれといって用事がある訳じゃないし、これ以上みんなを薬屋さんに引き回すのも悪いよなあ。
「やるべき予定は全部こなしたから、後は適当に町をぶらぶらしようか。その辺のお店とか冷やかして、それから帰ろう」
 僕の提案に「賛成!」「了解」「じゃあそれで」「分かりました」なんて返事が返ってくる。僕らはお会計を済ませると、店の外に出た。
 お昼過ぎの町は活気が満ちている。ふと通りの端で、ご婦人方の「きゃー」という黄色い声が上がった。
「行ってみようか」
「おう」
 物見高いのか元気なのか、鉢屋と竹谷がそこへ駆けていく。
 男二人はご婦人方に混じっていたけれども、やがてご婦人方はその場を離れた。ご婦人というか、若いお嬢さんという感じだったけれど。何があったんだろう。
 歩いてたどり着いた僕らが、鉢屋と竹谷の肩越しに二人の見てるものを覗く、と。
 そこは髪紐や櫛が並べられた露店だった。
「あー、成程ね」
 それでご婦人方が騒いでいたのか。そして鉢屋たちが来たから去って行った、と。
 びっくりさせたなら悪かったなあ、僕らに必要なものでもないし、どうせすぐ立ち去るのに、と思っていたら。
「これ、なかなか綺麗じゃん?」
「これも結構いけると思うぜ」
 何故か鉢屋と竹谷は熱心にのぞき込んで、あれやこれやと指差したりしているのだった。
「へえ、良さげなのがたくさんあるね」
「どれどれ」
 雷蔵と兵助までがその中に混じって、品定めを始める。僕はその袖を引っ張った。
「ちょ、ちょっと!何やってんだよ!」
「何って……いい感じの髪紐がたくさんあるから、見ていこうと」
「なんで」
「なんでって……その辺のお店をひやかして行こうって仰ったの、先輩じゃありませんか?」
「そりゃそうだけど」
 雷蔵の丸っこい目がきょとんとしてる。なんでこいつら平気なんだろう。僕の方がおかしいんだろうか。でも。
「でも、ここは女物の小物を置いてる、ご婦人方のための店なんだよ?なんか気恥ずかしくない?」
 何でこんなことを説明しなくちゃいけないんだろうと思うと、顔が火照ってきた。こんなの理屈じゃないだろう!
「気恥ずかしい、ですか?」
「もちろん!」
 しかしそんな感覚、雷蔵にはないみたいだった。きょとんとした目を、ぱちぱちと瞬かせるばかり。
「でも、先輩も女装する時は、こういう小物も使うでしょう?」
「そりゃそうだよ。女装するなら櫛でも髪紐でも使うし、こういう店を見て回るのも気恥ずかしくないよ。だけど今は、男だし」
 なんだか説明するだけでも恥ずかしい。何で女物の店の前で自分が男だと主張しなくちゃいけないんだろう。
「へえ。三郎は別格として、この中じゃ伊作先輩が一番女装が上手いのに、そういうものんなんだ」
「いや、こういう気持ちの切り替えのはっきりしていることが、女装の極意なのかも」
「成程、そうか」
 横では竹谷と兵助が勝手なことをしゃべってる。なんだかいたたまれないけど、みんな品定めに夢中だ。しばらくこの場から動きそうにない。僕だけでも少し離れようとしたところ、すっと目の前に一つの髪紐が差し出された。
「でもこれなんて、伊作先輩の髪の色にちょうどよく合うと思うんですけど」
 それは綺麗な山吹色の髪紐で、端に珊瑚の細工がついていた。珊瑚の鮮やかな朱色の美しさと、珍しい形にちょっとだけ目を奪われていると、それを肯定と取ったのか、あろうことか雷蔵は、その髪紐を僕の髪にかざしてみようとした。
「ちょ、待って、駄目だって!」
 女物の髪紐を男が身に付けるなんて、しかもこんな往来で、人の目のたくさんあるところで、何を考えてるんだ!僕は雷蔵の手首を掴むと、その手から髪紐をもぎ取った。叩きつけるようにして台に戻すと、一刻も早くその場を離れたくて、雷蔵の手を掴んだまま走りだした。

 どれだけ走ったのだろう。気がつけば道がなくなっていた。仕方なく足を止めて、上がりきった息を整える。
「……ここ……どこだろ……?」
 まだぜいぜいいう息で何とか言えば、同じく肩で息をしている雷蔵が、苦しげな息の下から答えてくれた。
「町外れ……ですよね」
 目の前には川が広がっていた。かなり大きな川だ。葦やらすすきやらが生えた河原も広い。僕らが立っているのはその川の土手に通した道のようだった。僕らの走ってきた道が、土手道と直角に交わって行き止まりになってる。ここで立ち止まらなければ、土手を駆け降りて川へ突っ込んでいた。
 走っている間は人を避けることしか考えてなかったけれど、まさかこんな遠くまで来ていたとは。我ながら何をやっているんだろう。
 しかも、僕は雷蔵の手首を掴んだままだった。掴んだままこわばった手をほぐすようにして、一本ずつおもむろに指を離す。
「……ごめんね」
 どれだけの力で掴んでいたんだろう。手甲をしてない雷蔵の手首には、しっかり僕の手の跡がついていた。相当痛かったんじゃないだろうか。僕は雷蔵の手首を持ち上げると、赤くなった跡をそっと撫でた。
「あ、いえ、大丈夫ですよこれぐらい!」
 まだ息が上がっている赤い顔でそう言ってくれるけれど。雷蔵は優しい子だから。
「ごめん。とっさにかっときちゃったんだけど、それにしてもやりすぎだよね。本当にごめん」
「いいえ、そんなことは!」
 僕が手を離すと、雷蔵はしゃきんと背筋を伸ばして、神妙に頭を下げた。
「僕の方こそ、先輩が嫌がってるの分かっててあんなことしちゃって……申し訳ありません!」
「ううん、僕の方が気にし過ぎなんだよね。それなのに、手首、こんなにしちゃって……」
「いえ、僕の方こそごめんなさい!」
 お互いに下げていた頭が、期せずして同時に上がった。雷蔵と目が合った瞬間、なんだかおかしくて吹き出してしまう。
 僕が笑えば、雷蔵も笑顔になった。良かった。雷蔵の穏やかな笑顔に、いつもほっとする。
「じゃあ、相殺ってことで。もう、気にしないことにしよう」
 でも、僕がそう言えば、途端に柔らかな笑みが曇った。
「いえ、相殺どころか、僕の方が一方的に悪いのですから……」
 せっかくいい笑顔だったのにと軽くにらみつければ、慌てて付け足した。
「あ、でも先輩が気にするなって仰った以上、気にするべきじゃないのかな。でも僕の方が悪いような気がするし、でも上級生の言うことは……」
 あ、迷い癖が発動した。こうなるともう手をつけられない。どうしたものかとあたりを見回せば、他の面々がのんびりと歩いて来るのが見えた。
 おーい、と手を振れば、竹谷が大きく手を振り替えして、三人ともこちらへ駆け寄ってきた。
「それにしても、随分遠くまで来ましたね」
 冷静な兵助の言葉に、なんだか恥ずかしくて赤くなる。全く、何を考えてたんだか、僕は。
「どうせなら反対側へ走れば良かったのに」
 鉢屋がにやりと笑いながら言う。そうか、頭の中で広げた地図によれば、確かにこの川は、町を挟んで忍術学園とは反対側だ。どうりであまり見ない風景だと思った。
「ま、いいじゃないですか。どうせ急ぎの用事もないんだし、この辺の土手で休憩して行きましょうよ!」
 竹谷が荷物を持ったまま、両手をあげて伸びをした。確かに、川面を渡ってくる風が涼くて気持ちいい。
「じゃあ、そうしようか」
 行こう雷蔵、と声をかければ、迷い癖が解けたのか、はい、とにこやかに返事してついてきてくれた。

「そーっとだぞ、そーっと、焦ると逃げるからな、ゆっくり近づいて……そらやった!」
「わー、取れたー!」
「ありがと、兄ちゃん!」
 川の浅瀬で、竹谷が川へ遊びに来ていた子供たちと、ざりがにを捕まえていた。その邪魔にならないように、河原をもう少し上流へ回ってから、水筒に水を汲む。
「伊作先輩」
 ばしゃばしゃと水をはねかして、竹谷が近づいてきた。袴の裾をからげて、元気な格好だ。
「水汲むんなら、もう少し深いところで汲みましょうか?あんまり浅いと砂とか入っちゃうでしょう。俺、行ってきますよ」
「あれ、ざりがに取りはもういいの?」
「ええ、一匹捕まえさせてやったら、もういいみたいで」
 見られてましたか、と竹谷は照れたように笑った。生物委員の竹谷にかかれば、ざりがになんてすぐ捕えられるんだろうな。
「じゃあお願い」
「了解です」
 快く水筒を受け取ると、竹谷は川の中程へ入って行った。臑がしっかり濡れるくらいの深さのところで水を汲むと、すぐに戻ってくる。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
 感謝の意を込めてにっこり笑うと、竹谷もにっこり笑った。でもその顔は、無理して笑ってるようにも見えた。
「……どうしたの?」
「すみません、今日はなんか大勢でついて来ちゃって」
「それはいいけど」
 竹谷が不意に視線を逸らした。僕もつられて竹谷の見る方を見れば、土手の斜面に、鉢屋と雷蔵と兵助が座ってる。手にしているのはお饅頭かな、お団子かな、何か食べ物みたいだ。
 三人は僕らが見ているのが分かると、大きく手を振ってきた。早く来いよー、なんて声も聞こえる。
 竹谷は大きく手を振り返して、今行くー、とか返事しながらも、足は川に浸けたまま。動きたくないようだった。
「今日はみんな、なんだか少しだけ変だよね」
「……伊作先輩」
 軽く驚いた顔に、やっぱりな、と思った。鉢屋も兵助も雷蔵も、いつもよりほんの少しだけ、情緒不安定みたいな感じがしてた。
「何かあったの?」
「……昨日、補習で遅くなったって言いましたけど、正確に言えば実習の反省会で」
 水を向ければ、竹谷は語りだしてくれた。川面を見ながら、呟くようにして。
「具体的には言えないんですけど、俺たち、致命的な失敗をやらかしてたんです。でも、反省会で先生に指摘されるまで、全然気付いてなくて。むしろ、結構いい働きが出来たと得意になってたくらいで。なのに俺たちのやったことは、いい働きどころか、無駄っていうか邪魔っていうか……かえって足引っ張ってたみたいで、なのに俺たちそのことに全然気付いてなくて」
 水面を見つめる竹谷の目には、後悔とか自責とかそういうやるせなさが満ちて、なんだか痛ましかった。
「で、俺たち、得意の絶頂から失意のどん底に突き落とされた訳ですよ。……でも、分かってるんです。落ち込んでたってしょうがない。今更取り返しはつかないし、どうしようもないことでぐだぐだとぐろ巻いてても何にもならないですからね。今回のことは失敗として肝に銘じて、もう同じ失敗はしないようにするしかない」
 竹谷の言葉に色々思い出しそうになったけれど、唾と一緒に飲み込む。取り返しのつかない失敗をしても、挫けて落ち込んでも、それでも前に進んで行くしかないんだ、僕たちは。川面を渡る涼しい風が、僕と竹谷の長い髪を揺らしていく。
「分かってるんです。でも、なんか上手いこと気持ちを切り替えられずにいて……気分転換をしたくて、それで、ちょっと学園を離れたくて、先輩にくっついて来ちまったんです。なのにうどんまで奢って下さって、本当に、すみません」
 一端面を上げてから、竹谷はぺこりと頭を下げた。兵助とはまた違った形で、竹谷も真面目で律儀な奴。
「いいよ、気にしないで。僕も荷物持ってもらって随分助かってるしさ。それで」
 僕は、顔を上げた竹谷に近づくと、その顔に笑いかけてみた。
「どう、気分転換になった?」
 いつもは僕が笑いかければ、条件反射のように笑ってくれるのに。この時はまだ神妙な表情のまま、僕の顔を見返してきた。
「……伊作先輩」
「何?」
「俺たち……いや、俺は、こんなんで一流の忍者になれるでしょうか」
「なれるよ」
 即答すれば、竹谷の目がまん丸になった。
「そんなに軽く答えないで下さいよお」
「いや、軽いつもりはないんだけどなあ」
 すがるような目の竹谷になんと説明すればいいのか、僕はこめかみのあたりを掻いた。
「あ、そうそう、これは僕だけの意見じゃないし」
「へ?」
「六年みんなの意見だよ。……今年の五年は優秀だなあって。去年までとは比べものにならないほど、みんな成長したって。なんていうかみんな、ふてぶてしくなったっていうか、強くなったっていうか。底力っていうか、地力みたいなものがしっかりしてきたから、後はそれを鍛えてやれば、一人前としてやっていけるって」
 信じられない、というように目をむいて、竹谷はじっと僕を見ていた。
「それが、六年生全員の意見、なんですか?」
「そうだよ。ちょっと前、何かの折りで、後輩の話になってさ」
 真面目で律儀で打たれ強いところもある竹谷が目をむいてる顔なんて、そうそうお目にかかれないよなあ、と僕は暢気にその顔を眺めた。
「あのさ。これでもみんなとは四年越しの付き合いで、一番馴染みの深い学年なんだよ。みんな鉢屋たちのことはよく見てるし、僕もそう思う」
「……伊作先輩も?」
「ん?」
 二人の間に風が流れていく。吹き飛ばされそうになった小さな声を、僕は上手く捉えきれなくて聞き返した。
「俺のこと、ちゃんと一人前の、一流の忍者になれると思いますか?」
「なれるよ」
 真剣な表情で、竹谷は僕に向かい合った。僕もきっちり竹谷の目を見て答える。
「でも、今ここで、挫けるようなら知らない。ここで駄目だと思って諦めるんなら、無理だと思う。……でもさ。竹谷はこんなところで落ち込んだまま、立ち直れないほど弱い奴じゃないよ。それは僕もよく知ってる。近くでずっと見てきたんだから」
「伊作先輩……!」
 竹谷の目がきらりと光った。表情に明るさが戻ってきた。もう一押し、と思って、僕は真横に回ると、その背中をおもいっきりどやしつけた。
「竹谷なら大丈夫!だから元気だしなって!」
「うわあっ!」
 僕の力が強すぎたのか、背中を叩かれるなんて思ってもみなかったのか。竹谷は前のめりになったかと思うと、頭から川面に突っ込んだ。ばっしゃーんと大きな音を立てて、派手に水飛沫があがる。
「わ、竹谷ごめん、大丈夫!?」
 この辺はまだ浅瀬の、決して深くはない水の流れだから溺れる心配はないけれど。石で頭を打ったりしてないか、慌てる僕の前で、竹谷はゆっくりと身を起こした。
「……あー、びっくりした」
「ご、ごめんね、本当に」
 水たまり程度の水深だけれど、竹谷の胸や腹は水浸しになっていた。裾を絡げた袴もまんべんなく濡れていて、とても冷たそうだ。ともかく竹谷に手を差し伸べる。
「いやいや、水面だったからどこか打ちつけたりとかしてないし、大丈夫ですよ」
 竹谷は顔についた水気をぬぐうと、僕の手を取った。顔に貼りついた前髪の下には、持ち前の明るい笑顔があった。
 良かった。怪我のないのも勿論だけれど、表情がいつもの竹谷だ。さっきの暗い顔はどこかへ吹き飛んだような明るい笑顔に、つい、ほっとしたのがいけなかったのだろう。
「……うわっ!」
「伊作先輩っ……!」
 竹谷を立たせようと引き上げた瞬間、足下で石が滑った。今度は僕が竹谷を押し倒すようにして、川の中へ突っ込んだ。

「先輩、大丈夫ですか。足下とか、寒くありませんか?」
「うん、僕は平気だけど、竹谷こそ大丈夫?代わろうか?」
「大丈夫です、ご心配なく」
 後ろを歩く竹谷はにっこり笑ってそう言ってくれるけれども。上着も袴もずぶぬれで、ぐっしょりと体に張り付いてるさまは見ていて寒い。
 同じく川に突っ込んで濡れてしまった僕は、今はちゃんと乾いた服を着ている。鉢屋が伝子さんに変装した時の服だ。どこからか雷蔵が入手したというこの服は、当然女物だけれど、背に腹は代えられない。元結いも解いて下の方で結びなおして、僕はすっかり町娘になってしまっていた。
「でもさ。風邪引くといけないし、やっぱり竹谷がこれを着た方がいいよ。女装の練習だと思ってさ」
「いやでも、俺がそれを着たとして、先輩はどうなさるんです?」
 そうなると、濡れた服を着るしかない。どういう加減でか、竹谷はまだ背中の方は濡れずに済んだのに、僕はまんべんなくずぶぬれになってしまっていた。
 だから竹谷が伝子さんの服を譲ってくれたのだけれど。でも学園にたどり着くまでとはいえ、竹谷はあまりにも寒そうだ。後輩が風邪を引くのをみすみす見逃すのも、先輩としてどうかと……。
 逡巡する僕を見かねたのか、竹谷と並んで後ろを歩く雷蔵が、口を挟んだ。
「大丈夫ですよ。ハチは丈夫に出来てますから、そんなに気になさらなくても」
「そうそう、伊作先輩が風邪を引いたら医務室が使えなくなってみんな困りますけど、ハチが風邪を引いたって、せいぜい毒虫が逃げた時に困るくらいですから」
 それを受けて、僕の右隣の兵助が言う。いや、それってかなり困った事態だと思うけど。……そうか、その前に毒虫が逃げ出さなければいいのか。
「第一、馬鹿は風邪を引かないって言うでしょう」
 左隣の鉢屋が軽くとどめを刺せば、後ろの竹谷からは「てめー!」と憤慨した声が上がった。しかし、すぐにふふんと鼻をならす。
「いいもんねー、だ。ね、伊作先輩、もし俺が風邪引いて寝込んだりしたら、医務室に入院させてくれますよね?」
「それは勿論だよ」
 そう答えた瞬間、事の重大さにみんな気がついたのか、一瞬だけ緊張が走った。
「ハチ!帰ったらすぐお風呂に行こうね!もし、まだ準備できてないようなら、僕が焚いてあげるから!」
「じゃあ俺はお粥を作ってやるよ。寒い時には温かいものを食べるのが一番ですよね、ねえ、先輩?」
 雷蔵と鉢屋が続けて竹谷をいたわってくれる。同じクラスの絆なのかな。仲いいなあ。
「あの、伊作先輩」
「なに、兵助」
「後で湯たんぽを借りに、医務室に伺ってもいいですか?」
 一人クラスの違う兵助も、ちゃんと竹谷のことを気遣ってくれてる。
 この五年生の仲の良さこそそが何よりの力だ。きっと何があっても、この四人なら乗り越えていける筈。
 こうやって力を合わせることは、この先きっといい経験になる。きっとみんな、一流の忍者になれるよ。そう思うと嬉しくなって、僕はおもいっきり笑顔になって、うんと答えた。


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