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月の光 6

「じゃあまた、蛆取りにかかりますから。痛かったら言って下さいね」
「……お前、物食った直後に、よく蛆虫取ろうって気になるなあ……」
 それはそれ、これはこれ、と思うのだけれども、それも雑渡さんに言わせれば奇異ってことなんだろうか。
 ともあれ、これは時間との競争だ。蝿が卵を産むのが早いか、僕が蛆を取り去るのが早いか。急がなければ、他の傷口にも卵を産みつけかねない。
 そうやってしばらく蛆虫取りに専念していたのだが、不意に男が口を開いた。
「なあ……何か、騒がしくないか?」
「騒がしい?」
 一端手を止めて、耳を澄ませてみる。確かに、人が大声で怒鳴る声や、ばたばたいう足音が聞こえるような気がする。とはいえ、塗籠というのは密閉された空間だから、その物音がどれぐらい近いのかとかいうことは、僕にはよく分からない。
「何かあったのでしょうか」
「敵襲だな」
 男の声には、それまでには聞いたことのないような鋭さが満ちていた。
「小僧、灯明を消せ。そのまま隅で蹲ってろ」
「何故です?」
「もしかしたら、狙いは俺かもしれない。どうにせよ、お前は関係ないだろ。隅っこでじっとしてろ」
 何故あなたが狙われるのか。それを聞こうとしたけれど、気がつけば物音はだんだんこちらへ近づいているようだ。そんな暇はない。僕は灯明の傍に寄ると明かりを消した。
 そうか、拷問傷。もしかしたら、この人は何か重大な情報を握っているのかもしれない。今襲ってきている敵は、それがタソガレドキに渡るのを恐れている。それでこの人を暗殺しようとし、忍び込んだものの見つかって、暗殺者とタソガレドキ忍者が戦闘中、ということではないだろうか。タソガレドキ忍者が、敵を食い止めてくれればいいが。
 いや、この派手な動きはおそらく陽動で、暗殺者の狙いはこっちなのかもしれない。となると、この塗籠の中まで暗殺者はやってくる。
 塗籠とは大きな箱のようなものだ。窓はなく、出入り口は一つ。しかも扉は小さく、大の男なら身をかがめないと入ってこれない。敵が必ずここを通って来るなら、勝機はある。
 ただし、こちらには武器になるようなものが何もない。
 苦無も棒手裏剣も取り上げられた。唯一の刃物は包帯用の小さな鋏。これじゃあ何の役にも立たないだろう。何か他に武器になるもの……。
 ふと思いついた。確かにあれなら、重量の点では申し分ない、な。
 仕方ない。多少間抜けだが、僕はそれを頭上に掲げて出入り口近くに陣取った。
「おいお前、何してんだ。まさか迎え撃とうだなんて馬鹿な事考えてんじゃねえだろうな」
「そのまさか、です」
「やめろ!敵はドクササコだ、凄腕揃いだぞ。お前みたいなひよっこが敵う相手じゃねえ」
「……静かに。来たようです」
 確か塗籠の外には、常に見張りがいる。『誰だっ!』という声の後、どすっ、とかいう鈍い物音した。どさりと人が倒れる音がして、また静寂が戻った。
 きい、と音がして、ほんの僅か、塗籠の扉が内側へ開く。外は薄明るいらしく、弱々しい光が漏れてくる。
 扉を大きく開きながら、人影が入ってきた。その人が塗籠の中に身を入れた瞬間、僕は掲げていた水入りの桶を、中身をぶちまけつつ頭上から叩きつけた。
「ぎゃあっ!」
 悲鳴を上げたその人を、塗籠の外へ蹴りだすと同時に扉を閉める。僕は次の武器、水に浸してあった手拭を拾うと構えた。
 しかし今度は、いきなり扉が開いたかと思うと、奥のほうでからんころんと小気味いい音がして、すぐに扉は閉ざされた。
 塗籠の中に暗闇が戻る。火縄の匂い。
 もしかしてこれは……!?
『宝禄火矢の恐ろしさは、単に爆発というだけではない』
 火薬の扱いが得意な朋輩の、整った白い顔立ちが、くっきり思い起こされる。
『素焼きの土器が火薬を挟んでいるのだが、これが爆発によって砕け、四散する。欠片自体の重量は大したことはないが、それが高速で飛ぶため、当たれば大怪我をする。逃げ場のない密閉空間でこそ、この宝禄火矢の脅威が生かされる』
 僕はとっさに、筵の上の男に覆いかぶさった。入り口付近は水浸しだ。きっと奥へ投げ込んだはず。覆いかぶさりながら、そっちへ体をずらす。
「おい、お前、何しやがんだ……!」
 やめろ、と男が叫んだ瞬間、低い音が轟き、宝禄火矢が爆発した。
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