月の光 9

「ふむ……似合うな」
 雑渡さんは右目でしげしげと僕を見た。
「どうだね、このままここに居るというのは。望みどおり、忍者にしてあげよう」
「……遠慮します」
 結局、焼け焦げた制服は使い物にならず、仕方なしに僕は、雑渡さんに忍装束を貰い受けた。返せる当てがないからだ。丈は長いしぶかぶかでかなり不恰好だったが、学園に戻りさえすれば代えの制服がある。
 黒装束に網シャツというのは、忍術学園では先生が着るものなので、かなり気恥ずかしかったが、この際仕方が無い。
「そういえば、今回の礼がまだだったな。何かして欲しいことはないかね?」
「忍術学園まで送っていただければ、それで」
 月明かりの庭を、木で出来た小さな門に向かって歩く。
 建物を出て、ようやくここがタソガレドキ城ではないことに気付いた。平屋建ての建物は広くて立派だったが、城というほどではない。ここはおそらく出城の一つではないかと思う。
 しかしその出城が忍術学園からどのぐらい離れているかとか、どの方角だとか、そういうことはさっぱり分からないのだった。
「残念ながら、それは出来ないようだね」
「じゃあ、忍術学園までの道を、教えて下さい」
「それもどうかな」
 からかわれているのだろうか、意地悪されているのか。それとも、忍者になろうという者、どこに放り出されても一人で解決しなさい、とか。
 まさか本気で、タソガレドキ軍に留めおきたい訳ではないだろう……けれども。
「それにしても、君も無欲だね。これだけの仕事を果たしたんだ、南蛮渡来の妙薬、とか吹っかけてもいいんだよ?」
 そういうものに興味が無いと言えば嘘になるけれども。
「でも今回のことは、僕にとってもいい勉強になりましたし。わざわざお礼をして戴くほどのことは、何もしていませんから」
 しかしそう言うと、雑渡さんは右目でじーっと僕を見た。
「まあそんな君だから、こんなことが出来るんだろうけどね。いいだろう。借り一つ、ということで取っておこう。また何かの折に……そうだな、何だったら忍術学園に、この借りを返すよ」
「はあ」
 そんなの要らないから、早く帰りたいんだけどな。
 でもここで忍び組頭相手にごねても仕方ない。一人でどうにか、帰る方法を考えよう。
「ええと……お世話になりました」
 腹を括ったところで、木の門の手前まで来たので、僕は雑渡さんに挨拶した。
「お世話になったのはこっちの方だけどね」
「ではここで失礼します。お元気で」
「……君も元気でね」
 覆面の下で、苦笑している気配。一礼すると、僕は木の門を潜って外に出た。
 外には細いけれど堀が切ってあって、小さな橋が架かっている。その橋の向こうには、民家なのか何かの店なのか、いくつかの家。その後ろは林で、基本的に山の中みたいだ。
 さてどの辺の山なんだろう、と首を捻りつつ橋を渡ると。
 橋の袂の柳の下に、女の人が立っていた。
 桃色の小袖が、月明かりにきらりとひらめく。頭から被った、手拭というのも憚られるような薄物からのぞく、その顔は……。
「……せ、仙蔵!?」
「遅かったな。待ちくたびれたぞ」
 仙蔵は思わず裏返った僕の声をものともせず、悠然と微笑んだ。元から女装は上手だったが、決して好きではなかった筈だ。それがどうしてこんな……。
「仕方ないだろう。こんな夜中にタソガレドキの出城の周りをうろつくには、忍装束よりこの方が都合がいいのだから」
「いやまあ、そりゃ、そうだろうけど」
「しかしお前の方こそ、その格好は何だ。タソガレドキに就職を決めたのか」
「決めてないよ。ただ、制服が焼け焦げちゃって」
「髪も随分焦げているな。仕方ない、帰ったら切ってやるか」
 仙蔵は桃色の袖から手を伸ばして僕の髷に触りながら、もったいぶって言う。
 格好はこんなでもいつもの仙蔵だなあと思うと、それだけで何だか嬉しくなった。
「あ、長次」
 見れば道の向こうから歩いてくるのは、確かに長次だ。外出用の服を着た長次は一瞬歩みを止めて、僕たちを確認してから、ゆっくりと歩いてくる。
「……頼まれていたものだ」
 長次は僕らのところまで来ると、風呂敷包みを差し出した。僕と仙蔵に、ひとつづつ。
「ありがたい。伊作、着替えるぞ」
「着替えって……仙蔵!?」
「変わり衣の術だと思え。恥ずかしがってる場合ではないぞ。生娘でもあるまいに」
 仙蔵こそ、女の人の着物なんだから。道の端で柳の陰に隠れてとはいえ、そうぽいぽい脱ぐこと無いだろうに。
 しかし、これ以上もたもたしてはまた仙蔵に怒られる。僕も柳の影に隠れながら、手早く服を着替えた。風呂敷包みの中には、僕の外出用の私服が入っていたのだ。
「うむ、では行くぞ」
 着物に袴といういつもの私服で、化粧を落とした仙蔵はさっぱりした顔で歩き出した。
 その後をついて歩きながら、ようやく僕は気付いた。雑渡さんが送って行くのも道を教えるのも断ったのは、仙蔵達が迎えに来てるのを、知ってたからなんだ。
「……僕が仕込んでおいた符丁、見つけてくれたんだ」
 連れ去られる前、薬草を入れた籠の中に、包帯のきれっぱしを紛れ込ませておいた。
 包帯から雑渡さんを連想して欲しかったのだけれど、ちゃんとそれを分かってくれていた。
 でもそれにしても、いい頃合に迎えに来てくれた。むしろ良すぎるような……?
「それもあるがな。お前が連れ去られた後、タソガレドキ軍から使者が来たのだ」
「使者?」
「保健委員長の善法寺伊作くんをお借りします、とな。かどわかしておいてよく言うが、一応断りを入れてきたのだ」
「へえ……」
「だから、お前の不在は、表向きは実習ということになっている」
 なら、下級生達にもそう伝わってる……かな。
 保健委員達。採薬の途中で放り出した形になってるからな。伏木蔵や左近は、かなり怒ってるかもしれない。でも実習のためにみんなを放り出したという方が、かどわかされたと心配させるよりずっといいだろう。
「実習ということなら、単位認定してくれないかな」
 愚痴っぽく呟くと、それまで黙っていた長次が、ぽつりと呟いた。
「どのような課題に挑み、どのような成果を上げたかを説明できれば、可能ではないか」
 いきなり長次がしゃべったということにまず驚いたけれど、その台詞の内容には少し考えさせられた。
 どのような課題で、どのような成果を……。
「……タソガレドキ忍者の人で、ドクササコ城に間者として潜り込んだ人がいたんだ。でもその人は間者だとばれて、拷問を受けた。ようやく救い出したものの酷い怪我をしていて、医者も匙を投げたので、僕がその手当てをした。けれど結局その人は、ドクササコの重要な情報をしゃべったら、自ら死を選んだ……」
 話してみれば、簡単なことだった。疑問を挟む余地も無い。
「だから結局、僕は何も出来なかった。これじゃ単位認定は、無理だね」
 僕がそう言うと、何故か長次のでっかい手が頭に降ってきた。そのまま力強く撫でられる。なんなんだろう。長次にしては珍しい。
「……長次?」
 焦げた髪をかき集めてせっかく結った髷が曲がってしまう。そう思ったら、まるで僕の考えを読んだかのように、長次の手が頭から去った。
 そのまましばらく歩く。今日はやっぱり満月で、夜道は昼のように明るい。両側の木立は鬱蒼と茂って流石にここには暗闇がわだかまっていたが、道は白々と照らされて、行く手は明るかった。
 どれぐらい歩いた頃か、どどどど、という音が聞こえてきた。まさか山賊、と辺りを見回したが。
「おーい」
 正面から土煙を上げて走ってきたのは……小平太!
「やー、無事で良かった。いさっくん、お帰り!」
 そう言って、小平太はがばっと僕に抱きついてきた。小平太が僕にじゃれついてくるのはいつものことで、だからそれは構わないけれど、いいんだけれど……。
「……痛あっ!」
 軽くとはいえ、背中一面に火傷を負ってる身としては、背中をぎゅっとされると痛い。非常に痛い。小平太の腕が外れた瞬間、思わずその場にうずくまる。
「え、いさっくん、大丈夫!?私、そんなに力入れたっけ?」
「力一杯、抱きしめていたように見えたぞ」
 冷たくさえ聞こえる仙蔵の声。僕は痛む背中を庇いながら、ともかく立ち上がった。
「いやちょっと、背中に火傷しちゃってて。それが痛んだんだ」
「火傷?」
「ほんの軽くだから、大したことないんだけどね。急だったから、びっくりしたのもあるし」
「いやだって……ほら。無事な姿見たら、なんか嬉しくなっちゃってさ!」
 頭を掻いて、照れながら笑う小平太。その豪快な笑顔はいつもと変わらない。
 けれど、でも。
「小平太、もしかして、怪我してる?」
「へ!?なんで分かるの!?」
 大仰に驚くのはともかく、どうして僕から飛び退るんだろう。
「なんとなく動きがぎこちないし、ほんの少し、血の匂いがした」
 詰め寄ると、小平太は珍しく身を縮こませると、小さな声でぼそぼそ呟いた。
「ええと……実は。鉢屋と剣術の練習をね、真剣で」
 は?何で小平太と鉢屋が剣術なんかしてるんだろう。しかも真剣でなんて。でも、そんなことはどうでもいい。
「それで、医務室には行った?ちゃんと手当てしてもらった?」
 太刀傷というのは、結構治りにくいのだ。放っておくといつまでも血が止まらないこともある。
 けれど、どういう訳か、小平太は新野先生を苦手としてる。これまではいつも、僕が医務室に居る時を狙って手当てしてもらいに来ていたけれども。僕が居ない間の怪我となると、誰が手当てを。
「……うん、新野先生にやってもらった」
 ほーっと息を着いた。ちゃんと新野先生に診てもらえたなら、安心だ。
「良かったね、小平太」
 小平太はまだ何か複雑そうな表情をしていたけれど、とりあえず、うん、と頷いた。
「ほれ、さっさと行くぞ。夜が明ける」
 仙蔵に急かされて、歩き出した。今ここに居るのが、仙蔵、長次、小平太と僕。学園に残っているのが、文次郎と留三郎。また厄介な二人を置いて来たものだ。流石に今は真夜中だからないだろうけれども、何かの折にまた喧嘩してたかもしれないな。
「大体、小平太。お前は学園で大人しくしていろと言っただろう。留三郎はどうした」
「止められたけどさ。でも留三郎は甘いね。私を止めようと思ったら、本気でかかって来ないと!」
「阿呆が。お前らが本気でやりあったら、どっちかが大怪我するだろうが」
「えー、私は留三郎に負けたりしないよー」
「だから余計、たちが悪いと言うんだ!……なあ、この莫迦、頭を下にして埋めていいか?」
 疲れた顔で振り返る仙蔵と、けろっとした小平太の取り合わせが可笑しい。
 他愛の無い会話。気の置けない仲間達。
 いずれ学園を卒業して、忍者になって、みんなばらばらになっても。
 例えこの仲間同士、敵対しあって殺しあう間柄になったとしても。
 今この瞬間、一緒に過ごしているこの仲間達がいとおしいと思う、この気持ちは、きっと生涯、大事な宝物として、僕の中に残る。
 笑った瞬間に目じりから何かこぼれたけれど、急いで拭ったし、隣にいる長次も見ない振りをしてくれたから、無かったことにする。今日は、涙腺がどうかしているんだ、きっと。それはこの、明るいけれど暖かみの無い、白い月の光のせいかもしれない。
 今夜の月の光を、僕は一生、忘れないと思う。

<end>

>あとがき
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